2004/07/26

7月26日(月)

 最近、ずっと野球の話ばかり書いてきたので、皆さん食傷気味ではないかと思い、本当は今回も野球の話の予定だったのですが、急遽話題を変更しようと思います。

 思いますが、ひとつだけ野球の話を。

 近頃阪神を始め、セ・リーグの各球団が、2リーグのままでやって、交流戦を催してはいかが?などという提案をしているようですが、何年も前にパ・リーグから提案を受けて、自分たちの興行収益が減るという理由で交流戦を却下していた奴らが、今更何を言うのか。ふざけんな、馬鹿チンが。パ・リーグはもう、とにかく一刻も早く韓国や台湾、中国と手を組みなさい。

 さて、今回は今から18年前の話です。思い切り古い話で申し訳ありません。本人の中では、そんなに古い感じがしないのですが、気が付くとむやみに年ばかり食っていて、ほとんどの思い出が色あせたものばかりになっています。あと幾日かで37歳になる身ですから、当然といえば当然です。

 当時18歳だった私は、大学受験のための勉強が厭で、安易に専門学校へ通っていました。安易に通っていたわけですから、当然勉強にも身が入らずに毎日パチンコや麻雀ばかりやっていました。同じ事をするなら、せめて大学に入っていればと思うのは、今になってようやく気が付いたことで、その当時は専門学校生と大学生の立場の差などまるで気にしていませんでした。

 ある日、同じ学校に通う山形出身の同級生のW君に、「友達の大学の学生寮で面白い麻雀をやっているから行ってみないか」と誘われました。どこの大学の寮だったのかは失念しましたが、「面白い」と聞いて、私は興味にそそられるままにW君の車に乗りこみました。

 時間は夕方遅くで、しかも車中で眠ってしまったために、場所も判然としません。いつの間にか到着していて、揺り起こされて周囲を見渡してみると、何の特徴もない住宅地でした。

 「ここの空き地に車を停めて、少し歩くんだ」と説明を受け、寝ぼけマナコのまま彼の後に続きました。少し歩くと、雑草の生い茂ったグラウンドが見え、その向こうに古びた学校を思わせるようなアパートがありました。アパートの各窓はすべて明かりが点いていて、外観とは裏腹に溢れんばかりの活気を内包していました。

 W君はその場の常連らしく、足元が暗くなりかけているにもかかわらずドンドン歩を進め、一階の一番奥の部屋まで一直線に進んでいきました。

 「こんばんは」と言いながらW君がドアを開けると、博打場特有の雑然とした雰囲気とタバコの煙が流れ出してきました。構わず上がりこむW君の後に続いて私も上がりこみました。

 中では既に麻雀が始まっていましたが、不思議なことに卓はたったの一卓のみで、その卓を囲んでいる四人を、二重三重に人が囲んでいました。二重の中の一人が、W君に軽く手を挙げたのが見えました。私は誰にも紹介もされず、ただW君の後ろに付いたままでした。

 そこでようやくW君にルールの説明を受けました。それは、私にとっては驚くべきルールで、言ってしまえばヨソの国のルールに等しいものでした。

 まず、細かい点数計算はなし。役ひとつが千点で、四役は満貫で後は普通にハネ満倍満と続く。

 「ええ!じゃ、リーチ一通とメンタンピンが同じ点数か?」と聞くと、W君はにっこり笑って、「そういうこと」といった後、小さな声で、こいつら馬鹿なんだよ、と言いました。

 さらに、ドラは一枚に付き千五百点のご祝儀が付く。これには驚きました。一役千点と決めておきながら、ドラは一つあるだけで合計二千五百点となるのですから。しかもツモれば三人から千五百点づつとのこと。つまり、ピンフ・ツモ・三色だと八千点にしかならないが、ツモ・ドラ三だと八千点プラス、ドラのご祝儀四千五百点×三人で一万三千五百点の、合計二万千五百点になると言うこと。

 「なんだよ、ただの絵合わせじゃんかよ」と小声でW君をなじると、彼は「だから楽なんだよ」と言いました。楽なんだ、というのはつまり楽に稼げると言うこと。

 W君にはまだ説明を受けたかったけれど、その間もなく、今の場のケリが付きました。聞くと、この場はラス抜けとのこと。つまり、ビリが抜けると言うこと。それで、次に入るメンバーを決めるため、待っている人数分の牌を用意して、裏返しにしてガラガラとかき混ぜます。中に一枚だけ「白」が入っていて、それを引いたものが次に入ると言う。

 牌を引く時に厭な予感がしましたが、図らずも私が「白」を引いてしまいました。説明は中途半端で、回りは知らないメンバーばかり。歳は全員自分と同じくらいでしたが、初対面の人間というのは、特に博打の場においては仮に年下でもそこはかとなく威圧感があり、若干気後れしてしまいます。

 しかし、始まってしまっては仕方がありません。初めの内は遠慮しながら打とうと思いつつ配牌をとったら、最初からドラが四つ紛れ込んできました。神様というのは、一番厭な時に一番厭な形で悪戯を仕掛けてきます。

 初対面で第一局目からドラの暗カンというのもはばかられるので、手の中で使い切ろうと思っていたら、程なく聴牌しまいました。しかし、形がドラを切って聴牌の形。一枚千五百点の牌、それもツモれば四千五百点の牌をムザムザ切るのも馬鹿げているので、思い切って暗カンをしました。なに、それで上がれなくてもそのままリーチでいいさ、と思ったら、嶺シャン牌が絵に描いたような上がり牌でした。タンヤオ・嶺シャン・ツモ・イーペイコウ・ドラ四。カンドラはありか?と聞いたら「あり」だというので、めくってみたらさらにドラが二枚増えました。合計でなんと三万五千点。部屋がドッと沸きました。

 その後、余裕が出来たおかげで打ちながら他のメンバーの腕を観察することが出来ました。すると、見れば見るほど可愛そうなくらいの下手くそであることに気が付きました。こういう一発芸のような麻雀の場合は、自分に手が入っていれば闇雲に勝負して、さもなくば安い手でサラリと流すのがセオリーだと誰でも思うはずなのですが、彼らは毎回自分の手に惚れ込んでしまい、何でもかんでも勝負してくれるのです。

 私は金脈を掘り当てた山師のような気分になり、心中ニヤニヤしていました。こんな素晴らしい金山に連れて来てくれたW君に心から感謝しました。

 その回、全員がほぼハコテンという大きなトップをとった私は、「一体レートはいくらなんだろう。こんなに美味しい場なら、千点50円でもいいや」などと皮算用をしていました。すると、目の前にいつの間にか10枚の牌が並べられていました。

 「何?これ?」

 「レートを決めるの。引いて」

 言われるがままに一枚引くと、「中」。部屋中に、またオオ!と声が上がりました。

 「10だよ。やられた!」

 「10かよ」

 「勘弁してくれよ!」

 メンバーが皆、あえぐように言いました。雰囲気から察すると、一番高いレートを引き当てた様子に、私はすっかり舞い上がりました。しかし、念のため「10って・・・幾ら?」と確認をしました。ところが、誰も何も言いません。何だろうと、W君を見ると、彼は声を出さずに笑っていました。

 「ひょっとすると、・・・10円・・・?」

 「うん、そう。で、一萬だったら1円で二萬だったら2円、3円・・・9円までいって中が10円」

 私は、ガックリと全身の力が抜け落ちました。終戦直後じゃあるまいし、千点10円てのは何なんだ。お前らそれで立派な成人を迎えられると思ってるのか。ふざけるな。

 よほど席を立とうかと思いましたが、今帰ったのでは帰りのタクシー代にもなりません。仕方がないので、「ああ、そうですか。そうですよね。僕たち学生ですもんね」とお愛想を言って、次の回に移りました。

 その夜、私は三千五百円程度勝ったところで、用事を思い出したことにして中座しました。途中で場に加わったW君を残し、ふらふらと表に出ると、空はもう白々と開ける頃。一体ここはどこなのかと電柱に掲げてある住所を見ると、自宅からは遠く離れたとんでもない山の中(と言うほどの山の中ではありませんが)。

 バスの時間には若干早く、電車に乗ろうにも駅もない。砂をかむ思いで、通りかかったタクシーを停めました。そこから仙台駅までのタクシー代がぴったり三千五百円。

 電車賃の190円が丸まる赤字で、家に着くと、丁度仕事へ出掛ける際の親父に見つかって、「ガキが朝までどこで遊んでいやがった」と酷く怒られたという、まことに無様な話でした。
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2004/07/19

7月19日(月)

 阪神が今頃になって1リーグ制反対を唱え始めました。

 今更何を言ってるんだという感じもしますが、読売主導の流れに竿をさすのは結構なことです。阪神が動いたことで、他の球団も本音を吐き始めたのが面白いです。しかし、あくまでも読売のいない席上でのことなので、どこまで本気か信用できたもんじゃありません。

 読売が「じゃ、2リーグでやりましょう、その代わり読売はパ・リーグへ行く」なんて言いだせば、きっとあっという間に前言を翻すのでしょうが。

 と言うわけで、各球団の動きは理屈で考えればよく分かるのですが、未だに理解できないのは選手会の動きです。選手会は、何故1リーグ制に反対なのでしょうか。野球界発展のため、と言っているようですが、何故2リーグ制だと発展的で、1リーグ制だとダメなのでしょうか。その辺の理屈をもう少し整理して欲しいと思うのですが、いっかなそのような動きはありません。ただ、現状が変わることと、1球団減って余剰選手が出ることのみを恐れているとしか映りません。

 今まで2リーグ制でやってきて、パ・リーグの各球団が経営難にあえいでいる現状を直視していたならば、年俸高騰の動きやメジャーリーグへのスター選手の流出や、試合数の削減などに諸手を挙げて賛成し、一方で球団の利益になるようなイベント企画などへは非協力的な態度をとり、また野球人口拡大のためのボランティア活動なども積極的には行ってこなかった選手会が、今更野球界発展とは良くぞ言えたものだと思います。

 読売が人気の上に胡坐をかいていたせいで野球人気が落ち目になったと言われますが、私の見たところでは、読売の人気の上に胡坐をかいていたのは、球団というよりもむしろ、選手個人のようにしか思えません。

 気の抜けたプレーや夢の無い言動にうんざりした事は、一度や二度ではありません。先ごろ読売のオーナーが「たかが選手」と発言して物議をかもしましたが、彼が「たかが」と言ってしまうのも仕方あるまい、と思わせる怠惰な選手の何と多いことか。投球ごと、スイングごとにネックレスを胸にしまう選手、チェンジの時にダラダラとベンチへ引き上げる選手、敵同士なのに塁上で談笑する選手、ピンチでマウンドに集まっているというのにニヤニヤしている選手・・・数え上げるとキリがありません。そんな選手が、「たかが」と言われて何を逆上しているのでしょうか。

 選手が合併反対を唱えて署名集めをするのは結構ですが、仮に合併見直しになった後、彼らは野球界発展の為にどういう行動を起こすのでしょうか。経営難に陥った球団は、とりもなおさず己の職場です。その経営難打開の為に、何をする気なのでしょうか。具体的な構想のひとつでもあるのでしょうか。恐らくは、この度の問題がとりあえずの決着を見た後は、やれやれと胸を撫で下ろして、どこか他所の球団に移籍する算段でもするのでしょう。

 私個人の意見では、基本的には合併には賛成です。経営難の球団が無理をして経営をしても、スター選手の放出や経費(年俸など)の削減をしてチームが弱体化するばかりです。そんなものを見せられるよりも、いっそ合併してくれた方が、自力をつけて強くて良い球団を作ることが出来る可能性が出てくるし、何よりも合併によってお互いのチームの不足を補い合うことで魅力的なチームが出来るかもしれないからです。その上で、使えない選手が切り捨てられるのはやむを得ないことであると思います。どんな世界でも、プロの世界とはそれだけ厳しい世界であるべきだと思います。

 また、某社による買収は反対です。これは球界の為と言うよりは、むしろ某社のためとも言えます。いくら再生プランがあるとは言え、様々な問題を内包した球団を買い上げるわけですから、2・3年で結果が出るとは考え辛いところであります。球団がダメになるというのは、経営陣にのみ問題があるわけではなく、選手個人レベルから問題があると考える方が自然です。その問題を解決しようと思ったら、どれだけ時間と費用が掛かるか想像するだけで気が遠くなります。

 ならば、同じだけの費用がかかることを考えれば、いっそ新球団を設立した方が得策だと思います。某社社長は記者会見の席上で、資産は現金で500億円以上有り、どうしてもプロ球団が欲しいと言っていました。それだけあれば、新球団は作れます。某社にしてみれば、どうしても近鉄じゃ無きゃダメ、と言うわけでもなさそうですし、買収により抱える諸問題や、他の球団オーナーからの阻害にも煩わされることもありません。もっとも、某社が本当に球団を持つ気があれば、の話ですが。

 合併する、新球団を作る、2リーグ制でやる。これで皆様納得なのではないかと考えるのは浅い考えなのでしょうか。

 話は変わりますが、もうずっと「本日の売上」を書いていませんでした。いつ頃からか書き忘れてしまっていて、何かもう、今更復活させるのも面倒くさくなりました。

 当店の売上にのみ興味のある方には申し訳ありませんが、「売上欄」は、今までで充分当店の本質を映し出す役割をしてまいりまして、今後飛躍的に変化することも考えられないので、廃止させていただきます。
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2004/07/12

7月12日(月)

 今月はやたらと働いています。まるで親の仇のようにカネを稼いでいます。とはいえ決して儲かっているわけではありません。ただの気まぐれで稼いでいるだけなので、儲けたお金は右から左に流れるように無くなっていっています。

 元々、稼ぎも微々たるものなので一瞬で流れていってしまっています。ドカッと稼げれば近鉄買収などとケチ臭いことを言わず、新球団を設立して韓国プロ野球リーグに参戦するところなのですが。

 先だって、パ・リーグは韓国リーグに混ざればいいというようなことを書きましたが、後に野球解説者(というよりもタレント?)の江川も同じようなことを言っていました。ただ、あちらの意見では、韓国野球は客入りが悪く、厳しい状況なのだとのことでした。

 パ・リーグをはじめとしてセ・リーグでも10球団で1リーグの方向に話が進んでいるようで、それに対してマスコミやファンの間では様々な意見(不満が多い)が頻出しています。

 ひとつの事象に対し、それぞれが自分に見える角度でしかものを考えないので、結局は読売の強引なやり方を糾弾するだけで話をとどめています。もちろん私もその一人です。

 しかし、誤解してはいけないことがひとつあります。それは、決して読売が先導して10球団1リーグを強行しようとしているわけではないということです。マスコミの報道が偏っているせいで、構図が歪んで見えてしまっているだけで、読売としては「近鉄がもうダメだって言うなら、現行での解決方法は二つしか選択肢が無い。5球団で勝手にやってもらうか、1リーグかだ。それでパ・リーグが1リーグに戻したいっていうなら、それなりに努力をしなさいよ」ということなのです。

 ただ、パ・リーグの出してくる案が、セ・リーグの現状にそぐわないものばかりだから、「こういう努力をしろ」とその努力の方法を具体的に提示しているのです。その提示方法があまりに具体的であるがゆえに、世間からとても独善的に見られているというわけなのです。

 歴史的に振り返ると、もともとは昭和25年に日本野球連盟で分裂騒ぎがあり、「おまーらとなんか一緒にやってられっかよぉ!」と飛び出したのが、今のパ・リーグなのです。

 当時は、南海や西鉄といった超人気チームがあったので、人気も二分されていたのですが、各球団が首都圏に集中していたのと、パ・リーグの経営努力が甘かったせいで(当店のように)、昭和33年に長嶋茂雄が読売に入団した辺りから、徐々に人気が偏り始め、やがて読売が9連覇を達成する頃には大勢に決着が付いた形となりました。

 余談ですが、長嶋は本来、南海に入団する予定でしたが、土壇場で心変わりして読売に入団してしまいました。当時はドラフト制度が無かったため、新人選手は自分の好きなチームに入団することが出来たのです。もし、長嶋が南海に入団していたら、ここまで極端に人気が分かれることも無かったのでしょうが、逆に野球人気がここまで続くことも無かったでしょう。

 読売にしてみれば、勝手に出て行ったくせに、いまさら何で元の鞘に収まらなきゃならんのだ、というところなのでしょうが、古い話なので俎上に上ることは無いでしょう。

 2リーグ分裂後、読売は経営努力を惜しまず、強引にでも良い選手(長嶋を始めとして)を入団させ、常に勝ちにこだわりチームを活性化させてきました。 分裂後最初の優勝チームは、セ・リーグが松竹(現在の横浜の前身)で、パ・リーグが毎日(千葉ロッテの前身)でした。この事から分かるように、読売は苦境からのスタートを余儀なくされ、それでも経営努力を惜しまず後の9連覇の礎を築き、人気を不動のものにしていったのです。

 私は決して読売ファンではありませんが、その私の目から見ても、読売は日本の野球界で色々な意味で一番努力をしているチームです。その目から見ると、チームをひとつダメにする球団と、それをまかないきれないパ・リーグに苛立ちを覚えるのはやむを得ないと思います。

 また、2リーグ分裂時には15チームあったプロ野球界は、何度も合併問題を解決してきました。その経緯を知っていると、今回の話題はあまり新鮮味を感じないのかもしれません。私などは、物心付いた時にはもう12球団でしたから、この度の合併騒ぎは非常に衝撃的です。

 そうしてみると、マスコミやファンや選手やコミッショナーなど、これまで合併問題に直接携わったことの無い人間よりも、理性的にこの問題と対峙しているのは読売なのかもしれません。 さて、最後にひとつ問題です。日本で一番古いプロ野球チームはどこでしょうか?

 来週まで答えを引っ張るわけには行かないので、すぐに答えを。

 正解は現在のオリックスブルーウエーブです。大正9年に「日本運動協会」として発足したチームが、後の阪急ブレーブスの前身です。もっとも、当時は他にプロチームが無かったため、大学野球や社会人を相手に試合をしていたようです。

 昭和9年にアメリカの選抜チームが来日し、それと対戦するために日本選抜チームが編成されましたが、そのチームが読売の前身となりました。そして、昭和11年に正力松太郎の呼びかけで「日本職業野球連盟」が発足する際に、改めて「日本運動協会」は「阪急」として参加するに至りました(だから阪急の創立は昭和11年とされています)。

 ちなみに正力松太郎は渡辺恒雄の前の前の読売のオーナーです。

 トリビアの泉に応募しないでね。
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2004/07/05

7月5日(日)

 この日記では、毎年今頃の時期になると怪談を一発カマすことになっています。読み手のことをまるで無視していると言われているこの日記ですが、いやいやなかなかどうして結構気を遣っています。

 元来私は霊魂の存在と言うものを認めていません。死者を偲ぶということは大切なことだと思いますが、それがヒュードロドロには直結しません。そもそも幽霊やUFOを信じている人、もしくは見たという人の多くは精神的にヒステリー気質の人が多く、そういう人と霊魂の存在の有無について語った時に、論理的に納得させてもらえることが無かったので、信用する根拠を失ってしまいました。せめて自分が幽霊やらUFOを体験できれば、それなりに納得も出来るのですが、私自身は一度も観たことがありませんので、100%信用できないまま現在に至っています。

 もちろん、今後何百年か後に、「昔は科学が遅れていたので、霊魂もUFOも信じていなかった人が多くいたのですよ。おかしいですね」なんて事を小学校の理科の授業でやっていることになるかもしれないと言う可能性までは否定していません。あくまでも現時点では信用していないということです。

 さて、話は唐突に始まりますが、今を去ること16年前、私は盛岡でプログラマーをしておりました。現在のだらけきった姿からは想像も付かない方も多くおられるでしょうが、キチッとスーツを着込み、アタッシュケースを抱えて歩くようなイカしたサラリーマンでした。最近人気の「ヨン様」を想像していただければイメージ的に間違いないと思います。

 当時は「24時間戦えますか?」がサラリーマンのキャッチフレーズでしたが、私もその例に漏れずに24時間近く働いておりました(と言うよりも働かされていたのですが)。休みは月に一日か二日で、若さに支えられて何とか生きていると言う状況でした。自分で言うのも変ですが、よく働く美男子だったと思います。

 働いても働いても仕事は次々に舞い込み、現代では想像も付かないような良い時代でした。今にして思えば、大分荒っぽい仕事をしたようにも思いますが、なぜか私の作るプログラムはバグが無いので、あちこちからかなり重宝がられていました。今はもう忘れてしまいましたが、バグを起こさないプログラムを作るコツがあったと記憶しています。

 ある日、盛岡からはかなり離れたお客さんから電話が掛かってきました。エラーが起きて、その後ウンともスンとも言わなくなってしまったので、すぐに来て欲しいとの事でした。本来、そのお客さんの担当は私の先輩でしたが、生憎休みだったので、やむなく偶然手の空いている私が向かうことになりました。

 車で三時間ほど走ってようやくたどり着いた場所は、山をひとつ越せばもうすぐ宮城県というところで、昔は造船などで活況だった港町でした。しかし、その栄華も数十年前のことで、当時はもうすっかり斜陽を迎えた寂れた町になっていました。

 仕事は思いの他難航し(他人の作ったプログラムをいじるのはかなり難しい)、終わった頃にはもうすっかり暗くなっていました。それでも、会社に戻らないことには一日の仕事が終わりませんので、くたくたになりながらも車を走らせました。

 岩手県は、どこへ行くにも山道につぐ山道ですから、疲れた体での車の運転は精神的にかなり負担が掛かります。うっかり気を抜くと、ついウトウトとしてしまいそうになりながらしばらく走りましたが、とうとう我慢が出来なくりました。そこへ都合よくチェーンの脱着用の広い側道に出くわしました。これ幸いと車を停めて、椅子を倒し、10分か15分だけのつもりでまどろみました。

 10分か15分のつもりが、一体どのくらい寝入ってしまったのでしょうか。突然、窓をドンドンドンドンとけたたましく叩かれ、はっと目を覚ましました。飛び起きて周囲を見渡すと、目の中に真っ赤な光景が飛び込んできました。右を見ても左を見ても赤赤赤・・・。

 何事か、と目を凝らすと、数台のパトカーと救急車が私の車を取り囲むようにして停まっていました。窓を叩いたのは警察官でした。慌てて車から出て、「なんですか?」と聞くと、警官は懐中電灯で私の顔を照らしながら「お宅はなんですか?」と逆に聞き返してきました。

 何?何ですかって何ですか?

 状況が飲み込めずにキョロキョロとあたりを見渡すと、私の車の先でなにやら青いビニールシートの束が積み重ねられていました。

 「お宅は関係者ですか?」さらに警官が詰め寄ってきました。

 「関係者?何のですか?」と私。

 「免許証見せてもらえますか?」

 「は?何でですか?」

 「何も分からないの?」

 「はい。ずっとここで寝てたもので」と言いながら時計を見たら、寝入ってから1時間ほど経過していました。

 「あのねぇ、さっき、この前の道路で事故がありましてね、人が跳ねられたんだよ」

 警官は岩手訛の無い、よどみのない語り口で説明してくれました。それによると、トラックが老人を礫ねたと連絡をしてきたのだというのです。

 この道沿いには民家もなく、電話も掛けられないので(当時は携帯電話など無かった)、町まで走ってきてそこから連絡をよこしたので、被害者は間に合わずに死んでしまったらしいとの事でした。

 「それでね、礫ねられた拍子に体が大分飛んだらしくてね、そこの道路からヒューッと飛んで」

 警官は指で礫ねられたであろう位置を指し、ヒューッとそのまま指で空を辿り、嫌な予感に襲われている私の目を見ながら、指をゆっくりと車の方へ指し示し、

 「お宅の車の助手席側の脇に、ホラ」といって、目と指をぴたりと止めました。

 「ええ!」と叫んで廻りこんでみると、助手席から1mほどの所に、くしゃくしゃに丸められた針金のようになった老人の血だらけの遺体が転がっていました。

 「凄い音がしたはずなのに、気が付かないってのもどうかなぁ」

 そう言いながら、警官は何事も無かったかのようにハハハと笑いました。

 私は、老人の遺体はもうおぼろげにしか覚えていませんが、あの警官の悪戯っぽい顔だけは未だにはっきりと覚えています。
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