7月26日(月)
最近、ずっと野球の話ばかり書いてきたので、皆さん食傷気味ではないかと思い、本当は今回も野球の話の予定だったのですが、急遽話題を変更しようと思います。
思いますが、ひとつだけ野球の話を。
近頃阪神を始め、セ・リーグの各球団が、2リーグのままでやって、交流戦を催してはいかが?などという提案をしているようですが、何年も前にパ・リーグから提案を受けて、自分たちの興行収益が減るという理由で交流戦を却下していた奴らが、今更何を言うのか。ふざけんな、馬鹿チンが。パ・リーグはもう、とにかく一刻も早く韓国や台湾、中国と手を組みなさい。
さて、今回は今から18年前の話です。思い切り古い話で申し訳ありません。本人の中では、そんなに古い感じがしないのですが、気が付くとむやみに年ばかり食っていて、ほとんどの思い出が色あせたものばかりになっています。あと幾日かで37歳になる身ですから、当然といえば当然です。
当時18歳だった私は、大学受験のための勉強が厭で、安易に専門学校へ通っていました。安易に通っていたわけですから、当然勉強にも身が入らずに毎日パチンコや麻雀ばかりやっていました。同じ事をするなら、せめて大学に入っていればと思うのは、今になってようやく気が付いたことで、その当時は専門学校生と大学生の立場の差などまるで気にしていませんでした。
ある日、同じ学校に通う山形出身の同級生のW君に、「友達の大学の学生寮で面白い麻雀をやっているから行ってみないか」と誘われました。どこの大学の寮だったのかは失念しましたが、「面白い」と聞いて、私は興味にそそられるままにW君の車に乗りこみました。
時間は夕方遅くで、しかも車中で眠ってしまったために、場所も判然としません。いつの間にか到着していて、揺り起こされて周囲を見渡してみると、何の特徴もない住宅地でした。
「ここの空き地に車を停めて、少し歩くんだ」と説明を受け、寝ぼけマナコのまま彼の後に続きました。少し歩くと、雑草の生い茂ったグラウンドが見え、その向こうに古びた学校を思わせるようなアパートがありました。アパートの各窓はすべて明かりが点いていて、外観とは裏腹に溢れんばかりの活気を内包していました。
W君はその場の常連らしく、足元が暗くなりかけているにもかかわらずドンドン歩を進め、一階の一番奥の部屋まで一直線に進んでいきました。
「こんばんは」と言いながらW君がドアを開けると、博打場特有の雑然とした雰囲気とタバコの煙が流れ出してきました。構わず上がりこむW君の後に続いて私も上がりこみました。
中では既に麻雀が始まっていましたが、不思議なことに卓はたったの一卓のみで、その卓を囲んでいる四人を、二重三重に人が囲んでいました。二重の中の一人が、W君に軽く手を挙げたのが見えました。私は誰にも紹介もされず、ただW君の後ろに付いたままでした。
そこでようやくW君にルールの説明を受けました。それは、私にとっては驚くべきルールで、言ってしまえばヨソの国のルールに等しいものでした。
まず、細かい点数計算はなし。役ひとつが千点で、四役は満貫で後は普通にハネ満倍満と続く。
「ええ!じゃ、リーチ一通とメンタンピンが同じ点数か?」と聞くと、W君はにっこり笑って、「そういうこと」といった後、小さな声で、こいつら馬鹿なんだよ、と言いました。
さらに、ドラは一枚に付き千五百点のご祝儀が付く。これには驚きました。一役千点と決めておきながら、ドラは一つあるだけで合計二千五百点となるのですから。しかもツモれば三人から千五百点づつとのこと。つまり、ピンフ・ツモ・三色だと八千点にしかならないが、ツモ・ドラ三だと八千点プラス、ドラのご祝儀四千五百点×三人で一万三千五百点の、合計二万千五百点になると言うこと。
「なんだよ、ただの絵合わせじゃんかよ」と小声でW君をなじると、彼は「だから楽なんだよ」と言いました。楽なんだ、というのはつまり楽に稼げると言うこと。
W君にはまだ説明を受けたかったけれど、その間もなく、今の場のケリが付きました。聞くと、この場はラス抜けとのこと。つまり、ビリが抜けると言うこと。それで、次に入るメンバーを決めるため、待っている人数分の牌を用意して、裏返しにしてガラガラとかき混ぜます。中に一枚だけ「白」が入っていて、それを引いたものが次に入ると言う。
牌を引く時に厭な予感がしましたが、図らずも私が「白」を引いてしまいました。説明は中途半端で、回りは知らないメンバーばかり。歳は全員自分と同じくらいでしたが、初対面の人間というのは、特に博打の場においては仮に年下でもそこはかとなく威圧感があり、若干気後れしてしまいます。
しかし、始まってしまっては仕方がありません。初めの内は遠慮しながら打とうと思いつつ配牌をとったら、最初からドラが四つ紛れ込んできました。神様というのは、一番厭な時に一番厭な形で悪戯を仕掛けてきます。
初対面で第一局目からドラの暗カンというのもはばかられるので、手の中で使い切ろうと思っていたら、程なく聴牌しまいました。しかし、形がドラを切って聴牌の形。一枚千五百点の牌、それもツモれば四千五百点の牌をムザムザ切るのも馬鹿げているので、思い切って暗カンをしました。なに、それで上がれなくてもそのままリーチでいいさ、と思ったら、嶺シャン牌が絵に描いたような上がり牌でした。タンヤオ・嶺シャン・ツモ・イーペイコウ・ドラ四。カンドラはありか?と聞いたら「あり」だというので、めくってみたらさらにドラが二枚増えました。合計でなんと三万五千点。部屋がドッと沸きました。
その後、余裕が出来たおかげで打ちながら他のメンバーの腕を観察することが出来ました。すると、見れば見るほど可愛そうなくらいの下手くそであることに気が付きました。こういう一発芸のような麻雀の場合は、自分に手が入っていれば闇雲に勝負して、さもなくば安い手でサラリと流すのがセオリーだと誰でも思うはずなのですが、彼らは毎回自分の手に惚れ込んでしまい、何でもかんでも勝負してくれるのです。
私は金脈を掘り当てた山師のような気分になり、心中ニヤニヤしていました。こんな素晴らしい金山に連れて来てくれたW君に心から感謝しました。
その回、全員がほぼハコテンという大きなトップをとった私は、「一体レートはいくらなんだろう。こんなに美味しい場なら、千点50円でもいいや」などと皮算用をしていました。すると、目の前にいつの間にか10枚の牌が並べられていました。
「何?これ?」
「レートを決めるの。引いて」
言われるがままに一枚引くと、「中」。部屋中に、またオオ!と声が上がりました。
「10だよ。やられた!」
「10かよ」
「勘弁してくれよ!」
メンバーが皆、あえぐように言いました。雰囲気から察すると、一番高いレートを引き当てた様子に、私はすっかり舞い上がりました。しかし、念のため「10って・・・幾ら?」と確認をしました。ところが、誰も何も言いません。何だろうと、W君を見ると、彼は声を出さずに笑っていました。
「ひょっとすると、・・・10円・・・?」
「うん、そう。で、一萬だったら1円で二萬だったら2円、3円・・・9円までいって中が10円」
私は、ガックリと全身の力が抜け落ちました。終戦直後じゃあるまいし、千点10円てのは何なんだ。お前らそれで立派な成人を迎えられると思ってるのか。ふざけるな。
よほど席を立とうかと思いましたが、今帰ったのでは帰りのタクシー代にもなりません。仕方がないので、「ああ、そうですか。そうですよね。僕たち学生ですもんね」とお愛想を言って、次の回に移りました。
その夜、私は三千五百円程度勝ったところで、用事を思い出したことにして中座しました。途中で場に加わったW君を残し、ふらふらと表に出ると、空はもう白々と開ける頃。一体ここはどこなのかと電柱に掲げてある住所を見ると、自宅からは遠く離れたとんでもない山の中(と言うほどの山の中ではありませんが)。
バスの時間には若干早く、電車に乗ろうにも駅もない。砂をかむ思いで、通りかかったタクシーを停めました。そこから仙台駅までのタクシー代がぴったり三千五百円。
電車賃の190円が丸まる赤字で、家に着くと、丁度仕事へ出掛ける際の親父に見つかって、「ガキが朝までどこで遊んでいやがった」と酷く怒られたという、まことに無様な話でした。
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思いますが、ひとつだけ野球の話を。
近頃阪神を始め、セ・リーグの各球団が、2リーグのままでやって、交流戦を催してはいかが?などという提案をしているようですが、何年も前にパ・リーグから提案を受けて、自分たちの興行収益が減るという理由で交流戦を却下していた奴らが、今更何を言うのか。ふざけんな、馬鹿チンが。パ・リーグはもう、とにかく一刻も早く韓国や台湾、中国と手を組みなさい。
さて、今回は今から18年前の話です。思い切り古い話で申し訳ありません。本人の中では、そんなに古い感じがしないのですが、気が付くとむやみに年ばかり食っていて、ほとんどの思い出が色あせたものばかりになっています。あと幾日かで37歳になる身ですから、当然といえば当然です。
当時18歳だった私は、大学受験のための勉強が厭で、安易に専門学校へ通っていました。安易に通っていたわけですから、当然勉強にも身が入らずに毎日パチンコや麻雀ばかりやっていました。同じ事をするなら、せめて大学に入っていればと思うのは、今になってようやく気が付いたことで、その当時は専門学校生と大学生の立場の差などまるで気にしていませんでした。
ある日、同じ学校に通う山形出身の同級生のW君に、「友達の大学の学生寮で面白い麻雀をやっているから行ってみないか」と誘われました。どこの大学の寮だったのかは失念しましたが、「面白い」と聞いて、私は興味にそそられるままにW君の車に乗りこみました。
時間は夕方遅くで、しかも車中で眠ってしまったために、場所も判然としません。いつの間にか到着していて、揺り起こされて周囲を見渡してみると、何の特徴もない住宅地でした。
「ここの空き地に車を停めて、少し歩くんだ」と説明を受け、寝ぼけマナコのまま彼の後に続きました。少し歩くと、雑草の生い茂ったグラウンドが見え、その向こうに古びた学校を思わせるようなアパートがありました。アパートの各窓はすべて明かりが点いていて、外観とは裏腹に溢れんばかりの活気を内包していました。
W君はその場の常連らしく、足元が暗くなりかけているにもかかわらずドンドン歩を進め、一階の一番奥の部屋まで一直線に進んでいきました。
「こんばんは」と言いながらW君がドアを開けると、博打場特有の雑然とした雰囲気とタバコの煙が流れ出してきました。構わず上がりこむW君の後に続いて私も上がりこみました。
中では既に麻雀が始まっていましたが、不思議なことに卓はたったの一卓のみで、その卓を囲んでいる四人を、二重三重に人が囲んでいました。二重の中の一人が、W君に軽く手を挙げたのが見えました。私は誰にも紹介もされず、ただW君の後ろに付いたままでした。
そこでようやくW君にルールの説明を受けました。それは、私にとっては驚くべきルールで、言ってしまえばヨソの国のルールに等しいものでした。
まず、細かい点数計算はなし。役ひとつが千点で、四役は満貫で後は普通にハネ満倍満と続く。
「ええ!じゃ、リーチ一通とメンタンピンが同じ点数か?」と聞くと、W君はにっこり笑って、「そういうこと」といった後、小さな声で、こいつら馬鹿なんだよ、と言いました。
さらに、ドラは一枚に付き千五百点のご祝儀が付く。これには驚きました。一役千点と決めておきながら、ドラは一つあるだけで合計二千五百点となるのですから。しかもツモれば三人から千五百点づつとのこと。つまり、ピンフ・ツモ・三色だと八千点にしかならないが、ツモ・ドラ三だと八千点プラス、ドラのご祝儀四千五百点×三人で一万三千五百点の、合計二万千五百点になると言うこと。
「なんだよ、ただの絵合わせじゃんかよ」と小声でW君をなじると、彼は「だから楽なんだよ」と言いました。楽なんだ、というのはつまり楽に稼げると言うこと。
W君にはまだ説明を受けたかったけれど、その間もなく、今の場のケリが付きました。聞くと、この場はラス抜けとのこと。つまり、ビリが抜けると言うこと。それで、次に入るメンバーを決めるため、待っている人数分の牌を用意して、裏返しにしてガラガラとかき混ぜます。中に一枚だけ「白」が入っていて、それを引いたものが次に入ると言う。
牌を引く時に厭な予感がしましたが、図らずも私が「白」を引いてしまいました。説明は中途半端で、回りは知らないメンバーばかり。歳は全員自分と同じくらいでしたが、初対面の人間というのは、特に博打の場においては仮に年下でもそこはかとなく威圧感があり、若干気後れしてしまいます。
しかし、始まってしまっては仕方がありません。初めの内は遠慮しながら打とうと思いつつ配牌をとったら、最初からドラが四つ紛れ込んできました。神様というのは、一番厭な時に一番厭な形で悪戯を仕掛けてきます。
初対面で第一局目からドラの暗カンというのもはばかられるので、手の中で使い切ろうと思っていたら、程なく聴牌しまいました。しかし、形がドラを切って聴牌の形。一枚千五百点の牌、それもツモれば四千五百点の牌をムザムザ切るのも馬鹿げているので、思い切って暗カンをしました。なに、それで上がれなくてもそのままリーチでいいさ、と思ったら、嶺シャン牌が絵に描いたような上がり牌でした。タンヤオ・嶺シャン・ツモ・イーペイコウ・ドラ四。カンドラはありか?と聞いたら「あり」だというので、めくってみたらさらにドラが二枚増えました。合計でなんと三万五千点。部屋がドッと沸きました。
その後、余裕が出来たおかげで打ちながら他のメンバーの腕を観察することが出来ました。すると、見れば見るほど可愛そうなくらいの下手くそであることに気が付きました。こういう一発芸のような麻雀の場合は、自分に手が入っていれば闇雲に勝負して、さもなくば安い手でサラリと流すのがセオリーだと誰でも思うはずなのですが、彼らは毎回自分の手に惚れ込んでしまい、何でもかんでも勝負してくれるのです。
私は金脈を掘り当てた山師のような気分になり、心中ニヤニヤしていました。こんな素晴らしい金山に連れて来てくれたW君に心から感謝しました。
その回、全員がほぼハコテンという大きなトップをとった私は、「一体レートはいくらなんだろう。こんなに美味しい場なら、千点50円でもいいや」などと皮算用をしていました。すると、目の前にいつの間にか10枚の牌が並べられていました。
「何?これ?」
「レートを決めるの。引いて」
言われるがままに一枚引くと、「中」。部屋中に、またオオ!と声が上がりました。
「10だよ。やられた!」
「10かよ」
「勘弁してくれよ!」
メンバーが皆、あえぐように言いました。雰囲気から察すると、一番高いレートを引き当てた様子に、私はすっかり舞い上がりました。しかし、念のため「10って・・・幾ら?」と確認をしました。ところが、誰も何も言いません。何だろうと、W君を見ると、彼は声を出さずに笑っていました。
「ひょっとすると、・・・10円・・・?」
「うん、そう。で、一萬だったら1円で二萬だったら2円、3円・・・9円までいって中が10円」
私は、ガックリと全身の力が抜け落ちました。終戦直後じゃあるまいし、千点10円てのは何なんだ。お前らそれで立派な成人を迎えられると思ってるのか。ふざけるな。
よほど席を立とうかと思いましたが、今帰ったのでは帰りのタクシー代にもなりません。仕方がないので、「ああ、そうですか。そうですよね。僕たち学生ですもんね」とお愛想を言って、次の回に移りました。
その夜、私は三千五百円程度勝ったところで、用事を思い出したことにして中座しました。途中で場に加わったW君を残し、ふらふらと表に出ると、空はもう白々と開ける頃。一体ここはどこなのかと電柱に掲げてある住所を見ると、自宅からは遠く離れたとんでもない山の中(と言うほどの山の中ではありませんが)。
バスの時間には若干早く、電車に乗ろうにも駅もない。砂をかむ思いで、通りかかったタクシーを停めました。そこから仙台駅までのタクシー代がぴったり三千五百円。
電車賃の190円が丸まる赤字で、家に着くと、丁度仕事へ出掛ける際の親父に見つかって、「ガキが朝までどこで遊んでいやがった」と酷く怒られたという、まことに無様な話でした。
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