2004/09/27

9月27日(月)

 さて、プロ野球の話がひと段落しました。色々とヤキモキさせられましたが、とりあえずの帰着をみたところで、私もヤレヤレといった気分です。

 この日記でも随分とスペースを割いて(という言い方よりも、日記のネタとして助けられたと言うべき)きました。

 なので、ひとまずキリのいいところで「野球関係」としてまとめてみようと過去の日記を読み返していたのですが、我ながら中々鋭い事を書いているのに気づきました。

 特に7月19日は凄い。読売のパ・リーグ移籍発言を予言し、更には新球団設立などまで言及したうえで、最終的な決着地点を見事に言い当てています。まるで未来を見てきたかのようではないですか。

 いやぁ、俺ってやっぱり凄いよね、と一人ごちてしまいましたよ。全く、こういう能力が何故自分の店の経営に活かされないのかと不思議に思えますが、人の事だとよく分かるのですが、自分の事になると、さっぱり分からないのです。

 例えば、「じゃんくまうす」さんの次回目録は年内には出ないとか、結局仙台には新球団は来ないとか、そういうことは分かるのですが、逆に私が明日突然大金持ちになるかとか、来週もこの日記が更新されるかということはまるで分からないのです。

 さて、「ライブドア」と「楽天」による仙台の奪い合いには驚きました。「ライブドア」が仙台に新球団を、と発表した時以上に驚きました。正直なところ、とても迷惑な話です。

 というのも、この問題には、私怨が見え隠れしているからです。楽天によるライブドア潰しとみて、間違いないのではないでしょうか。普通に考えれば、楽天は仙台以外であればどこでも良かったはずなのに、何故強引に仙台でなければならなかったのか。現段階では私自身も言葉に出来るまでに噛み砕けていないので、多少意味不明の部分もあろうかと思いますが、我慢して読んで下さい。我慢できない人は無理に読まないで下さい。

 仮に楽天が当初の予定通り大阪を本拠地としてNPBに申請した場合(実際には諸々の事情により大阪本拠地はありえない)、NPBは「楽天とライブドアの比較」という審査方法ではなく、個々の企業として審査をすることになります。結果両方の企業の参入を認めることになるとは考え辛いのですが、仮にそうなった場合、楽天とライブドアは「ライバルチーム」という図式になります。

 一方、同じ場所を本拠地として申請した場合は、「楽天とライブドアの比較」という審査方法になります。この場合、生き残ったほうが優良企業という印象を世間に与えます。これは、株価の問題一つとっても大きな意味を持ちます。経営的に行き詰っていたりすればなおのことです。

 なので、楽天にとっては、ただ球団を持つだけではなく、ライブドアを押しのけた上で球団を得ることが重要です。実際にはどこを本拠地にしようと選ばれる企業は一つなのですが(NPBにしてみれば6球団以上は構想に無いので)、世間的なイメージとしては、「ライブドアより格上の企業なんだね」という「より強いイメージ」が出来上がります。

 楽天が申請に当たって政財界の大物の後ろ盾を揃えたのも、ここが天下分け目の関が原で、その後の球団経営よりも、むしろ今現在において何としてもライブドアを潰したいからではないかと思いました。というのも、他の地域ではどうか知りませんが、ここ仙台においては、毎日のように各テレビ局による両社長に対するインタビューが放送されているのですが、ライブドアの社長からは球団経営に対する強い熱意を感じるのですが、楽天の社長からはそういう意味の熱意がまるで伝わってこないのです。単純に東北出身の選手を取るとか監督を選ぶとか、地域住民におもねった意見ばかり吐露し、経営については中途半端な意見ばかりです。

 ずっと以前に、中央の大企業が仙台に大工場を建てて大量の地元採用を謳い上げていましたが、その時の経営者と同じ印象を受けました。その企業はいつの間にか撤退したか倒産したか知りませんが、後いくばくもなく大工場は跡形もなくなっていました。

 うがった見方をしてそのデンに従えば、楽天もおおよそ同じ運命を辿ると推測してしまいたくなります。もっとも、これはあくまで私見です。しかし、楽天の行為を見ていると、企業としての行動原理から若干はみ出している感じがしてしまうのは私だけではないはずです。私はそこに、両社長間に横たわる何がしかの遺恨を感じてしまったのです。

 しかしそれは、根を辿れば非常につまらないもののようです。二人で同時にラーメンを頼んだのにヤツのほうが先に来たとか、自分がキープしていたボトルを空っぽにされたとか、世間が見れば「なんだそりゃ」と言わざるを得ないような、些細な事ではないかと。ちょっと想像が飛躍しすぎてしまいました。スイマセン。

 私に限らず、仙台市民はもとより宮城県民、そして多くの野球ファンは、新球団設立を強く望んでいます。ましてや今はNPBの傲慢を世論でねじ伏せる絶好の機会です。本当は1リーグでやりたい一部のオーナー連中まで「新球団はしょうがないよね・・・」という風向きになっています。ぜひともここはスンナリといって欲しいのです。

しかし、両企業がぶつかっていては、NPBに「どちらを選んでも企業間に遺恨が残る」とか何とか理由をつけられて、新球団設立を反故にする口実にされる可能性があります。

 なのでここは、後発の楽天に一旦身を引いていただいて、その代わり将来ライブドアがヒイヒイ言い始めた所で(きっと言う)、おもむろに買収に乗り出すという方向に変えていただきたいです。

 最後に、両社長へ一言。本当は仙台で商売なんてやめたほうがいいんです。ろくなこと無いですから。私が言うんだから、間違いないです。

 それでもやるって言うのなら止めませんが、だったらせめて私を採用しておいたほうがいいです。ええ仕事しまっせ。
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2004/09/20

9月20日(月)

 プロ野球は現在混迷しています。正直なところ、私には選手会の言い分も経営者側の言い分も理解できません。

 マスコミは雰囲気に流された意味不明のコメントを吐き出していますし(ストライキは悲しいことだとか、野球はファンのものだとか)、それに取り込まれたファンの多くは、付和雷同してストを後押ししています。 はじめにハッキリさせておきますと、今回のストライキについては、選手会の一部幹部(近鉄とダイエー)とそれを後押ししたファンが起こしたものです。

 最終的な決断を下したのは古田選手会長(ヤクルト)ですが、彼自身は経営者側と選手会側の板ばさみにあって、より圧力の強かった選手会の意見を選択せざるを得なかったのだと思います。

 何年か後に、今回のストライキについて真実が取りざたされたり、やはりあのストは選手のエゴだった等という、現在とは逆の評価がなされることもあるかと思うのですが、今現在ファンの多くはストライキを後押ししていて、責任の一部を担ってしかるべきであると覚えておいて欲しいと思います。

 さて、混迷の中、ライブドアが仙台を本拠地にして新球団設立の申請をしました。私個人としてはとても嬉しいことです。(去年の今頃に書いた、仙台に球団を持って来いという話(くだらない夢物語)が突然現実味を帯びてしまい、多少たじろいでもいます。)しかし現在、プロ野球機構(以下、NPB)の一部(オリックス)は「時間的な問題」を理由に新規参入を拒むかのような発言を繰り返しています。ストの引き金になったのはこの一件についての文言を巡ってのものなので、この点については深い議論が必要です。

 「時間的な問題」とは、一体何なのか。

 現段階では、真意は皆目分かりません。分かっているのは、新規参入の企業を審査するための時間というだけです。しかし、参入しようとしている企業はいずれも一部上場企業ですから、審査するといっても何も審査するものはありません。一部上場するための厳正な審査をすでにクリアしている企業が、NPBごときに何を審査されなくてはならないのか、ということです。

 この点を見ただけでも、「時間的な問題」は、新規参入企業に対する問題ではなく、むしろ新規参入を拒むための理由を作り上げるための時間を欲しがっていると想像できると思います。新規参入を拒んでいるのはパ・リーグ5球団(近鉄の意見は不明)と読売の計6球団で、これらの球団は基本的に1リーグ推進派です(読売の立場は近頃微妙になっているので、正直なところよく分かりません)。

 1リーグ推進派は、来年からは無理でも近い将来においての1リーグ制を狙っているので、せっかくのチャンスを新球団設立で妨害されたくないのでしょう。あともう一組の合併がなされれば、1リーグ制も現実味を帯びてくるのに、6球団になってしまっては、今までの苦労が元の木阿弥ですから。だから、「新規参入は早くても2006年から」とし、来年(2005年)中にもう一組合併して1リーグ制に向けて大きな流れを作りたい。

 その狙いの一部が選手会にもファンにも見え隠れしているから、誰も納得しないのです。全くお粗末な話です。中でも一番のお粗末は、近鉄。なぜ、ペナントレースの真っ最中に合併話を漏らしてしまったのか。せめてあと4ヶ月遅く合併を発表すれば、その頃には日本シリーズも終わり、ペナントレース中のストライキにまで至らなかったのにと思います。恐らく、経営者側は選手やファンを相当ナメてていたか、もしくは情報が漏れるとは想像もしなかったのだと思います。しかし、事がここに至っては「たら」「れば」の話をしてもしょうがないのですが。

 話は審査の件に戻りますが、そもそもプロ野球が始まったとき、各球団が鳴り物入りでリーグに参加したわけではありません。キャンプ地はおろか本拠地も無く、雑然とした環境のまま旗揚げをしたと記憶しています(間違いだったらスイマセン)。そのことを考えれば、時代の違いと現在の状況もありますが、あながち全て完璧な状態の球団でなければ参加できないということも無いのではないかと思います。

 極論ですが、魅力的なチームでありさえすれば、立派な球場でなくともファンは観戦に訪れると思います。もっと言えば、草の根的なところから旗揚げした球団にこそファンは感情移入しやすいし、小奇麗でご立派でも選手との距離が遠い球場で観る野球よりも、たとえ河川敷でも選手との距離が近い球場で見る野球のほうに魅力を感じます。

 野球とはそもそも非日常的な世界でありつつも、実に生活に密着した興奮を与えてくれるスポーツです。過去に野球のプロなどあり得ないと蔑まれつつも様々な困難を乗り越えて立ち上がっていった世界が、何故今になって困難の中にあって立ち上げようとする新球団を拒むのか。

 それは、実に非日常的世界の生み出す利益のみを追求して、庶民の生活に密着することを忘れてしまった既存球団が経営戦術(というほどのものは持っていなかったけれど)の誤りには目を伏せてきたせいで、野球の持つ本来の性質が見えなくなっているからではないかと思います。

 ファンの野球離れ、とマスコミや球団は言っていますが、私のように長く野球を見てきた者にとっては、逆に「いつ頃からか球団が俺達を見捨てていった」という実感があります。特に、私のように地方に在住しているファンにとっては年々地方遠征が減少する現実があり、それは球団から三行半を突きつけられたと取らざるを得ません。そのせいで、いつ頃からか「野球はドームでしかやらないもの、そしてそれをテレビで観るもの」という観念が出来上がってしまいました。

 そもそもプロ野球が発展したのは、黎明期に日本各地を転戦していたためで、特に熱心に遠征をしていたのは読売で、故に未だに地方で不動の人気を保っています。

 それが今では、選手の不満(設備が整っていないとか、疲れるとか)や、興行収入が上がらない(球場が狭いところが多いので収容能力が無い)という理由で、遠征が少なくなっていきました。特に読売に至っては、地方球場への遠征はほぼ皆無となり、ドーム球場かもしくは新球場の落成でもなければおなじみの場所でばかり試合をしている体たらくです。

 選手もまたそれをヨシとして、特に問題意識の無いまま、雨も風も当たらない、さながら無菌室のような場所でプレーをして、球団のみならず選手たちまでもがファンの顔など見ようともしなかったのではないでしょうか。

 先に私が選手会の言い分も理解できないと書いたのは、このような無菌室の中から、今更、「ファンのため」とか「球界発展のため」と叫ばれても、一向に心に響かないからなのです。新球団参入を認めろ、と選手会は声を荒げていますが、「何故って、俺が入団したいから」とは誰も言いません。今のスタンスでは、「球団として認められて、誘われれば行くかもしれないし、再就職の場はいくらあっても困らないもんね」という都合のいい意見にしか聞こえません。

 もし本気で新球団の設立を望むのならば、NPBの提案通り2006年からの参入でも認めてしまって良いのではないかと思います。そして、今年FA権を持っている選手が中心になって、オフシーズンにどんどん新球団へ入団すればいいのです。そうやって、NPBが無視できないような球団にしてしまえばよいのではないでしょうか。最悪一年間は棒に振ることになるかもしれませんが、パ・リーグの6球団目として認めざるを得ないことになるのではないかと思います。そこまでの覚悟があればこその「ファンのため」「球界のため」という台詞なのではないでしょうか。

 また、NPBについては、もう1リーグ制への盲目的な邁進は諦めて欲しいと思います。何故1リーグで無ければならないのか、そこまで読売との試合は魅力的なのか、他球団への依存だけで経営が成り立つというのは妄想ではないか、もういい加減目が覚めてもいい頃なのではないでしょうか。

 そしてまた、球団を経営するなら、もっと野球を好きになって欲しいと強く思います。
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2004/09/13

9月13日(月)

 気が付くともう9月も半ばで、今年も残すところあと僅かになりました。ついこの間2004年になったように思っていたのに、もう2005年がそこまで迫っています。

 私は年頭の抱負で「金に汚くなること」「店内の在庫を全て商品化する」という二点を挙げましたが、なんだか実行できていないような気がします。敢えて言うならば、在庫が汚くなり、金が商品化されているような状況です。

 金が商品化されているというのはいくらなんでも訳が分からないと思うので説明させていただくと、お客さんから買い取った本が商品化されることなく闇に葬られているので、ただお客さんに金をあげているだけの状況になっているということです。

 闇に葬られているというのは、何も捨てているだけというのではなく、キチンと棚に並べているのにまるで動かない商品のことでもあります。巷ではよく売れているらしい「NARUTO」だとか「鋼の錬金術師」とかいう漫画も、もうずっと並んだままになっています。どちらも一冊200円だからそんなに高いわけではないと思うのですが、張り付いたように動きません。

 つい先月までは何人にも「ナルトは無いか、鋼の錬金術師は無いか」としつこく聞かれて辟易していたところへ持ってきて、その両方とも一気に入荷し、ヤレヤレこれでしばらくはうるさく言われることもあるまいとホッとしていたのですが、無ければ無いで大騒ぎする連中に限って、あればあったで買いません。その辺の心理状態は考えても無駄なので考えないようにしています。いくら考えたところで、そもそも売れない店なので、何が起きても起きなくても慌てたり気に病んだりする必要はないのです。

 とは言え別に諦めたり達観したりしているわけではなく、自分の人生の時間の流れ方にようやく気が付いたように思って、少しだけ落ち着いた気分でいるのです。人それぞれ向き不向きを感じながらも、他者との関わりの中で汲々としながら自分の時間を割り振って生きているのが常の世の中で、まるで自分のペースで事を運べているわけですから、それだけで幸せだと思わなくちゃあ損です。

 天職という言葉を額面通りに受け取れば「天に授かった職」なわけですから、死ぬまで続けて全うしなけりゃなりません。日々好きな本を読んで、欲しい本を探して、売りたい本を売って生活していけるんですから、これ以上何を望む必要がありましょうか。

 以前、落合博満(現中日ドラゴンズ監督)が現役時代末期に残した台詞が、未だに忘れられません。

 「自分から引退する気なんて無いよ。どこからも契約してもらえなかったら、そりゃ辞めなくちゃならないけど」

 プライドやスタイルに拘って格好良く生きるよりも、野球選手としての生き方を全うしたいということです。実績なんて、明日を約束する材料になるようなものではないのだと。すなわち落合は天職を全うしようとしている唯一の野球選手なのかもしれません(現在は監督とは言え、現役続行中のつもりで指揮を執っているようにみえます)。

 さて我が身に置き換えて鑑みると、古本屋として職を全うするために必要なことは何か。あらゆるお客さんからそっぽを向かれ、誰も買いに来ない、売りに来ない、立ち読みにすら来ない、という状況になるまでしつこく営業を続ける事なのだと思います。

 とすると、私は既に天職を全うしてしまったということになるのでしょうか・・・。
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2004/09/06

9月6日(月)

 先日、約30?の荷物を持ち上げようとして両手首を痛めてしまいました。現在、1kgの物を持ち上げるのにも苦労しています。くだらないことですが、どこまで痛みを我慢できるか、いちいち秤を使って量りました。

 こうしてはっきりとした数字が出ると、事態がどうあれほっとしてしまうのは何故なのでしょうか。

 ちょっと意味が分かり辛いですね。何が言いたいのかというと、数字に拘る人間と、そうでない人間を比べてみようと思ったわけです。その前フリをしようとして手首の話をしたのですが、どうもうまくいかなかった、と。

 さて、毎度の事ながら私事から入りますが、私は昔はあまり数字を気にしない性格でした。子供の頃の数字と言えば、その筆頭はテストの成績でしたが、先生や親からやいのやいの責められても、ほとんど気にしませんでした。どころか、たかが数字で何故にそうまで責め立てられるのか一向に理解できませんでした。今の成績なんてものは、いずれ雲散霧消してしまい、影も形も残りはしないだろうと思っていました。

 その気風は、後に長じて企業に勤めるようになってからもさして変わらず、時には上司から激しく責められもしました。

 子供の頃の成績などは確かに雲散霧消していたのですが、社会に出れば出たで、また別の数字に追われるのがそのときに分かりました。しかし、分かったからといって性格や考え方は急には改まらず、後幾ばくも無く役立たずとして扱われるハメとなりました。

 確かに数字という奴は私のような者ですら、様々なことがよく分かるように出来ていてとても分かりやすいのですが、一方でそれに囚われることで見えなくなってしまう部分があり、魔術的な恐怖を孕んでいるようにも思います。

 例えば、徹底して数字に拘る民族は欧米人と、欧米を妄信している現代の日本人であると思うのですが、彼らは数字を魔術的に操るのが上手です。よく使われる手法に、Aという項目の良いところと、Bという項目の悪いところを比較するという方法があります。本来、比較するべき対象にならないはずの項目を、数字を差し出すことで上手に同じ遡上に乗せてしまうのです。

 特に日本人はそういうトリックじみた手法が好きなので、コロリと騙されてしまいます。

 「俺ってアメリカかぶれで100%アメリカ贔屓なのよね」という人は世に多いですが、彼らは同じ手法で文化すら比較してしまいます。

 「アメリカはこういうところが優れてるんだよね。それに比べて日本はこうだからダメなんだよね」という言い方をよく耳にしますが、あれは本当に頭の悪い理屈だなあといつも思ってしまいます。

 それはさておき。数字を上手に操る人は、その能力は素晴らしいと思うのですが、時にはその能力のせいで自らを追い詰めてしまうようです。数字に拘る人は、どういうわけか気の小さい人が多く、数多(あまた)ある中の一つの結果にも酷く腐心してしまい、いとも簡単に絶望したり狂喜したりしてしまいます。かと思えば、極端に数字を増やすことにのみ邁進して、周囲が見えなくなったりもするようです。

 別に数字に拘ることが悪い事だと言うつもりは無いのですが、ここまでの文脈は激しく数字信奉を非難する形になっています。それは決して本意ではないので、数字派の方はもう少し我慢してください。

 先に私は数字には無頓着であったと書きましたが、現在では立場を異にしています。商売をしているのですから当然といえば当然です。開業から丸三年を経た現在、色々な数字が集まり、日々それを見ることで今後の計画なども(ぼんやりと)練ったりするようになりました。

 これが成長かというと実はそうではなくて、自分では想像力が急激に衰えてきたせいであるとと捉えています。と言うのも、数字が気になって仕方がなくなったのは、売上が落ち込んでからのことで、それまでは数字のことなど気にしなくても何とでもなっていたのです。それがいつ頃からか何とかするのに何とも言えぬ苦労が伴うようになり、何がなんだか分からなくなる前に何がどうなっているのか分かる内に何とかしようと思い至った時に、他の手段を思いつかずに単純に数字に頼り始めたというわけです。しかしその時にはまだ本気で数字にあたっていたわけではなく、なんだかよく分からない物の正体の一端でも垣間見えればいいや、と言う気持ちの一方で、数字で得た事実なんてアテになるわけがないという気分もありました。この時点で私はまだ数字に拘る人の気持ちを理解していなかったのです。

 動機が動機でしかもやっつけ仕事な気分で数字にあたったところで、何か画期的な改善方法が思い浮かぶ訳も無いのですが、ところがしかし、ある日突然閃くものがあり、その時に初めて数字に拘る人の気持ちが理解できたわけです。

 閃き、と言っても大したものではありません。私は、一日の集計をとる時に、数字だけではなく天候やニュースなども一緒に記すようにしているのですが、閃きは数字からではなく、天候やニュースの方から受けました。と言うのも、その日の売上が悪いのには、雨が降ったとか金メダルラッシュが続いた、といったように何らかの理由があるのですが、逆に売上が良い時には、これと言った理由が見あたら無かったのです。無理にでも理由を探そうとするならば、それは「本を買おうと思った人が偶然集中した」としか考えられないのです。しかしそんなのはどう考えても理由にはなり得ませんし、仮になってとしても何の役にも立ちはしません。

 ここでハタと気が付きました。悪い数字は分かりやすい一方で、良い数字には自分が想像できる以上の何やら神秘的な意図が見え隠れする。故に人は数字に囚われるのではなかろうか、と。(それが全てとはいいませんが)

 そしてその結果、それは自分の想像力の貧弱さをも表していることに気付いたのです。この辺がうまく説明できず歯がゆいところなのですが、例えば若い頃は想像力が豊だった(筈です)私が、年々歳々その衰えを実感しているのは事実で、それと共に数字に頼ることが多くなりました。想像力が弱まるのに比例して、数字に対しての神秘性が増しているような気がするのです。すなわち、想像するよりも神秘性を感じるに留めたほうが楽ですから、無意識のうちに思考がそちらに移行しているのではないかと思うのです。

 思い起こせば、先生や親、あるいはテストの点数にのみ目くじらを立てていた同級生はおおむね、音楽も聴かない本も読まない映画も見ないし冗談も通じないような、無味乾燥な人々が多かったように思います。実際はそうではなかったのかもしれませんが、私の目にはそう映っていました。そしてまた、冷静に見てみると現在の私がそうなりつつあります。悲しいことです。

 10年前の私なら、良い数字の理由など想像からキチンと導き出し、商売大繁盛の指針にし得たはずですが、現在では悪い数字とばかりにらめっこしているので、僅かに残った想像力を使うまでもなくなり、商売そのものが「想像上のもの」になりつつあります。全く本当に悲しいことです。
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