12月27日(月)
さて、いよいよ本年最後の日記です。
ここに至ってようやく年頭に掲げた抱負を思い出してみますと、
1.カネに汚く
2.在庫を全て商品化の二点でしたが、さてその目標は果たせたのでしょうか。
正直なところ、腰を上げようと思ったら最早年末だった、という感じです。平たく言うと、来年に持ち越し、と・・・。
ここ数日(大袈裟に言えばここ数年とも言えますが)私は大変に退屈しております。オークションなどは落札日が年末年始にかかるのを避けるため、出品数を調整しているので、本当にやることがありません。
仕事の出来る人は自ら率先して仕事を見つけてこなしていくもので、それが出世の道へ繋がったり大企業への道へ繋がったりするものらしいのですが、私は幼少のミギリより退屈とねんごろになって生きてきたので、身にそぐわない出世をするなどという目に遭わずにここまできました。そうして身についたのが、時間の上手な潰し方です。
しかし、サラリーマン時代にはとても重宝したこの技術ですが、現在は時間を潰せば潰すほどこの身が潰れる確度が高くなるという弊害を生んでいます。なので近年は潰すほどの時間があれば、他店を潰す計画を練ったりして上手に時間を使っています。
しかし、年末のこの時期はどうにも時間の使いようがありません。掃除をするとか年賀状を書くとか、やるべきことはあるのですが、そういうものは退屈でないときにやるべきことです。退屈なときには退屈なときでなければ出来ないことをやるべきなのだと思います。(突然論点がずれてしまっているのは無視してください。)
今私は突発的な退屈と向き合っているのではなく、非常に慢性的な退屈と向き合っているので事が厄介です。次の仕事まであと一時間、という場面ではなく、手ぶらで無人島へ行ったような場面を想像していただけると良いでしょう。救助の来る可能性がとても低い状況に置かれているのにもかかわらず、水や食料には当分困らない。
ならばあとは死ぬまでの時間をどう使うか。今日明日に死ぬわけではなさそうでも、近い将来確実に死ぬことは明白で、その覚悟も出来ているわけです。ただ、そのゴール地点がはっきりしないので困っているのです。一ヵ月後か、それとも一年後か。いくら覚悟が出来ているとは言っても、そんなに曖昧な時間では、覚悟も続かない。
いや、いざその時にジタバタするわけではないのですが、しかしいつ発車するのか分からない列車の発進を待っているのは、いささか手持ち無沙汰なのもです。12月のカレンダーをめくったら、13月が出てきたとしたら、そのカレンダーには信用がなくなるのですが、だがしかしカレンダーではなくて自分の認識に誤りがあるのかもしれないと考えると、身動きが取れなくなります。
そうした時、「なんだなんだこれはなんだ、部長、これはいったいどういうことですか、きちんと説明してくれなくちゃボク困っちゃうじゃないですか」と一生懸命うろたえる「ウロタエ人」が多いとは思うのですが、私の場合は、「ああ、そうなんだ、いよいよ13月なんだ、今年は長いなあ」と全てそのまま受け入れる「ウケイレ人」なのです。
ウケイレ人は私のほかにもその存在が確認されているのですが、多くは地下道でダンボールにくるまって寝ている人に多いので、普段の生活を送っている人にとってはコミュニケーションに多少の勇気が必要となります。
ウケイレ人とっての退屈とは、生活の上で必要不可欠なものです。むしろ退屈無くして生活は成り立たないともいえます。故に、傍目からはただ寝ているだけに見えても、私らは「今忙しいから」と堂々と言ってのけます。これを単に「面倒くさがっている」と捉えてはいけません。「退屈であること」が大切なのですから、その退屈をこなすのに手一杯で、他のことには構っていられないのです。
つまり、「今退屈だから忙しいのよね、俺。あともう少しで退屈じゃなくなるから、用があるならあとでね」となるわけです。
ウロタエ人の人々には中々理解しがたいとは思うのですが、世間一般で言うところの「退屈」とは、質が違うのです。デジカメと酢コンブほどの違いがあるのです。もっと言うと、ウロタエ人にとっての退屈は地中の宝石の如く無意味で縁の無いものですが、我らの退屈は天から授かった一大事業とも言えると思います。
その証拠に、地下道にいるウケイレ人を例に取るとみな必死で退屈をこなしています。誰一人として退屈を放棄しているものはいません。朝晩に食料を探しに出るときを除いては、なるべく時間を見つけては退屈をするようにしているのです。
しかし私の場合、真のウケイレ人ではないため、慢性的な退屈に対してその対処法に若干の迷いがあるのです。実はかなりウケイレ人の血が濃いくせに、普段は知らんフリをしてウロタエ人のように振舞っているせいで、外部から与えられた退屈を上手く受け入れることが出来ないのです。外部から与えられた退屈とは、つまり「商売が左前」ということです。(「顔が男前」で「シャツが後ろ前」で「仕事が半人前」なのはやむをえない)
この外部からの退屈は来年も続きそうなので、これはいよいよウケイレ人としての資質に磨きを掛けて、本格的に対処していかなくてはならないと思います。また、周囲を見渡すと、私と同じ資質を持っている古本屋がちらほらと見受けられるので、彼らと協力し合ってちゃんとした退屈をこなさなければならないと思っています。
年々日記がつまらなくなっていっています。
書いていて非常に辛いです。
近頃文章を綴るのがおっくうでなりません。
ブックレビューが一回で止まっているのもそのせいです。
どっちかやめちゃっていいでしょうか?
え?好きにしていい?
おありがとうございます~。
1日一回のランキング投票お願いします。
ここに至ってようやく年頭に掲げた抱負を思い出してみますと、
1.カネに汚く
2.在庫を全て商品化の二点でしたが、さてその目標は果たせたのでしょうか。
正直なところ、腰を上げようと思ったら最早年末だった、という感じです。平たく言うと、来年に持ち越し、と・・・。
ここ数日(大袈裟に言えばここ数年とも言えますが)私は大変に退屈しております。オークションなどは落札日が年末年始にかかるのを避けるため、出品数を調整しているので、本当にやることがありません。
仕事の出来る人は自ら率先して仕事を見つけてこなしていくもので、それが出世の道へ繋がったり大企業への道へ繋がったりするものらしいのですが、私は幼少のミギリより退屈とねんごろになって生きてきたので、身にそぐわない出世をするなどという目に遭わずにここまできました。そうして身についたのが、時間の上手な潰し方です。
しかし、サラリーマン時代にはとても重宝したこの技術ですが、現在は時間を潰せば潰すほどこの身が潰れる確度が高くなるという弊害を生んでいます。なので近年は潰すほどの時間があれば、他店を潰す計画を練ったりして上手に時間を使っています。
しかし、年末のこの時期はどうにも時間の使いようがありません。掃除をするとか年賀状を書くとか、やるべきことはあるのですが、そういうものは退屈でないときにやるべきことです。退屈なときには退屈なときでなければ出来ないことをやるべきなのだと思います。(突然論点がずれてしまっているのは無視してください。)
今私は突発的な退屈と向き合っているのではなく、非常に慢性的な退屈と向き合っているので事が厄介です。次の仕事まであと一時間、という場面ではなく、手ぶらで無人島へ行ったような場面を想像していただけると良いでしょう。救助の来る可能性がとても低い状況に置かれているのにもかかわらず、水や食料には当分困らない。
ならばあとは死ぬまでの時間をどう使うか。今日明日に死ぬわけではなさそうでも、近い将来確実に死ぬことは明白で、その覚悟も出来ているわけです。ただ、そのゴール地点がはっきりしないので困っているのです。一ヵ月後か、それとも一年後か。いくら覚悟が出来ているとは言っても、そんなに曖昧な時間では、覚悟も続かない。
いや、いざその時にジタバタするわけではないのですが、しかしいつ発車するのか分からない列車の発進を待っているのは、いささか手持ち無沙汰なのもです。12月のカレンダーをめくったら、13月が出てきたとしたら、そのカレンダーには信用がなくなるのですが、だがしかしカレンダーではなくて自分の認識に誤りがあるのかもしれないと考えると、身動きが取れなくなります。
そうした時、「なんだなんだこれはなんだ、部長、これはいったいどういうことですか、きちんと説明してくれなくちゃボク困っちゃうじゃないですか」と一生懸命うろたえる「ウロタエ人」が多いとは思うのですが、私の場合は、「ああ、そうなんだ、いよいよ13月なんだ、今年は長いなあ」と全てそのまま受け入れる「ウケイレ人」なのです。
ウケイレ人は私のほかにもその存在が確認されているのですが、多くは地下道でダンボールにくるまって寝ている人に多いので、普段の生活を送っている人にとってはコミュニケーションに多少の勇気が必要となります。
ウケイレ人とっての退屈とは、生活の上で必要不可欠なものです。むしろ退屈無くして生活は成り立たないともいえます。故に、傍目からはただ寝ているだけに見えても、私らは「今忙しいから」と堂々と言ってのけます。これを単に「面倒くさがっている」と捉えてはいけません。「退屈であること」が大切なのですから、その退屈をこなすのに手一杯で、他のことには構っていられないのです。
つまり、「今退屈だから忙しいのよね、俺。あともう少しで退屈じゃなくなるから、用があるならあとでね」となるわけです。
ウロタエ人の人々には中々理解しがたいとは思うのですが、世間一般で言うところの「退屈」とは、質が違うのです。デジカメと酢コンブほどの違いがあるのです。もっと言うと、ウロタエ人にとっての退屈は地中の宝石の如く無意味で縁の無いものですが、我らの退屈は天から授かった一大事業とも言えると思います。
その証拠に、地下道にいるウケイレ人を例に取るとみな必死で退屈をこなしています。誰一人として退屈を放棄しているものはいません。朝晩に食料を探しに出るときを除いては、なるべく時間を見つけては退屈をするようにしているのです。
しかし私の場合、真のウケイレ人ではないため、慢性的な退屈に対してその対処法に若干の迷いがあるのです。実はかなりウケイレ人の血が濃いくせに、普段は知らんフリをしてウロタエ人のように振舞っているせいで、外部から与えられた退屈を上手く受け入れることが出来ないのです。外部から与えられた退屈とは、つまり「商売が左前」ということです。(「顔が男前」で「シャツが後ろ前」で「仕事が半人前」なのはやむをえない)
この外部からの退屈は来年も続きそうなので、これはいよいよウケイレ人としての資質に磨きを掛けて、本格的に対処していかなくてはならないと思います。また、周囲を見渡すと、私と同じ資質を持っている古本屋がちらほらと見受けられるので、彼らと協力し合ってちゃんとした退屈をこなさなければならないと思っています。
年々日記がつまらなくなっていっています。
書いていて非常に辛いです。
近頃文章を綴るのがおっくうでなりません。
ブックレビューが一回で止まっているのもそのせいです。
どっちかやめちゃっていいでしょうか?
え?好きにしていい?
おありがとうございます~。
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