2004/12/27

12月27日(月)

 さて、いよいよ本年最後の日記です。

 ここに至ってようやく年頭に掲げた抱負を思い出してみますと、

 1.カネに汚く
 2.在庫を全て商品化の二点でしたが、さてその目標は果たせたのでしょうか。

 正直なところ、腰を上げようと思ったら最早年末だった、という感じです。平たく言うと、来年に持ち越し、と・・・。

 ここ数日(大袈裟に言えばここ数年とも言えますが)私は大変に退屈しております。オークションなどは落札日が年末年始にかかるのを避けるため、出品数を調整しているので、本当にやることがありません。

 仕事の出来る人は自ら率先して仕事を見つけてこなしていくもので、それが出世の道へ繋がったり大企業への道へ繋がったりするものらしいのですが、私は幼少のミギリより退屈とねんごろになって生きてきたので、身にそぐわない出世をするなどという目に遭わずにここまできました。そうして身についたのが、時間の上手な潰し方です。

 しかし、サラリーマン時代にはとても重宝したこの技術ですが、現在は時間を潰せば潰すほどこの身が潰れる確度が高くなるという弊害を生んでいます。なので近年は潰すほどの時間があれば、他店を潰す計画を練ったりして上手に時間を使っています。

 しかし、年末のこの時期はどうにも時間の使いようがありません。掃除をするとか年賀状を書くとか、やるべきことはあるのですが、そういうものは退屈でないときにやるべきことです。退屈なときには退屈なときでなければ出来ないことをやるべきなのだと思います。(突然論点がずれてしまっているのは無視してください。)

 今私は突発的な退屈と向き合っているのではなく、非常に慢性的な退屈と向き合っているので事が厄介です。次の仕事まであと一時間、という場面ではなく、手ぶらで無人島へ行ったような場面を想像していただけると良いでしょう。救助の来る可能性がとても低い状況に置かれているのにもかかわらず、水や食料には当分困らない。

 ならばあとは死ぬまでの時間をどう使うか。今日明日に死ぬわけではなさそうでも、近い将来確実に死ぬことは明白で、その覚悟も出来ているわけです。ただ、そのゴール地点がはっきりしないので困っているのです。一ヵ月後か、それとも一年後か。いくら覚悟が出来ているとは言っても、そんなに曖昧な時間では、覚悟も続かない。

 いや、いざその時にジタバタするわけではないのですが、しかしいつ発車するのか分からない列車の発進を待っているのは、いささか手持ち無沙汰なのもです。12月のカレンダーをめくったら、13月が出てきたとしたら、そのカレンダーには信用がなくなるのですが、だがしかしカレンダーではなくて自分の認識に誤りがあるのかもしれないと考えると、身動きが取れなくなります。

 そうした時、「なんだなんだこれはなんだ、部長、これはいったいどういうことですか、きちんと説明してくれなくちゃボク困っちゃうじゃないですか」と一生懸命うろたえる「ウロタエ人」が多いとは思うのですが、私の場合は、「ああ、そうなんだ、いよいよ13月なんだ、今年は長いなあ」と全てそのまま受け入れる「ウケイレ人」なのです。

 ウケイレ人は私のほかにもその存在が確認されているのですが、多くは地下道でダンボールにくるまって寝ている人に多いので、普段の生活を送っている人にとってはコミュニケーションに多少の勇気が必要となります。

 ウケイレ人とっての退屈とは、生活の上で必要不可欠なものです。むしろ退屈無くして生活は成り立たないともいえます。故に、傍目からはただ寝ているだけに見えても、私らは「今忙しいから」と堂々と言ってのけます。これを単に「面倒くさがっている」と捉えてはいけません。「退屈であること」が大切なのですから、その退屈をこなすのに手一杯で、他のことには構っていられないのです。

 つまり、「今退屈だから忙しいのよね、俺。あともう少しで退屈じゃなくなるから、用があるならあとでね」となるわけです。

 ウロタエ人の人々には中々理解しがたいとは思うのですが、世間一般で言うところの「退屈」とは、質が違うのです。デジカメと酢コンブほどの違いがあるのです。もっと言うと、ウロタエ人にとっての退屈は地中の宝石の如く無意味で縁の無いものですが、我らの退屈は天から授かった一大事業とも言えると思います。

 その証拠に、地下道にいるウケイレ人を例に取るとみな必死で退屈をこなしています。誰一人として退屈を放棄しているものはいません。朝晩に食料を探しに出るときを除いては、なるべく時間を見つけては退屈をするようにしているのです。

 しかし私の場合、真のウケイレ人ではないため、慢性的な退屈に対してその対処法に若干の迷いがあるのです。実はかなりウケイレ人の血が濃いくせに、普段は知らんフリをしてウロタエ人のように振舞っているせいで、外部から与えられた退屈を上手く受け入れることが出来ないのです。外部から与えられた退屈とは、つまり「商売が左前」ということです。(「顔が男前」で「シャツが後ろ前」で「仕事が半人前」なのはやむをえない)

 この外部からの退屈は来年も続きそうなので、これはいよいよウケイレ人としての資質に磨きを掛けて、本格的に対処していかなくてはならないと思います。また、周囲を見渡すと、私と同じ資質を持っている古本屋がちらほらと見受けられるので、彼らと協力し合ってちゃんとした退屈をこなさなければならないと思っています。

 年々日記がつまらなくなっていっています。

 書いていて非常に辛いです。

 近頃文章を綴るのがおっくうでなりません。

 ブックレビューが一回で止まっているのもそのせいです。

 どっちかやめちゃっていいでしょうか?

 え?好きにしていい?

 おありがとうございます~。
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2004/12/20

12月20日(月)

 Yahoo!のコンテンツに動画配信がありまして、プレミアム会員だとおおよそは無料で観ることが出来ます。

 ところがうまくしたもので、本当に魅力的なヤツは有料となっております。有料とはいえそれほど高額ではなく、基本的にはレンタルビデオとほぼ同じくらいの感覚だと思います。

 これまでは、有料だと知ると即そっぽを向いていたのですが、今回は(12月1日より)ガンダム特集とのことで、ついついつられてゼニを払ってしまいました。とはいえ、私は昔からガンダムが好きだったわけではなく、むしろほとんど観ていなかった部類に属していました。

 それが、ついガンダムの映画版三部作を懐かしさに負けて購入してしまって以来、「スターダストメモリー(全13話)」「ポケットの中の戦争(全6話)」と続けざまに見入ってしまいました。(余談ですが、「トニーたけざき」のせいで、三部作は爆笑しながら観てしまいました。ひどく損をしたような気持ちになりました)

 これだけ観ても金額的には三千円弱なのですから、他の娯楽に比べれば安いものです。ただ、これらのお陰で寝不足になってしまうのが困りもの。一度購入すれば一週間は時間が与えられるのですから、何日かに分けてゆっくり観ればいいとは思うのですが、何事にも歯止めの効かない性格なので、一度体勢に入ってしまうとやめるきっかけを失ってしまい、結局は最後まで観てしまいます。

 この後、第08MS小隊(全11話)を観る予定なのですが、迷っているのは「Zガンダム(全50話)」をどうしようかと。計算すると、約20時間かかるので、これはさすがに一度では観られないはずなのですが、自分自身なにかとんでもないことをしでかしそうな予感がします。

 さて、夏目漱石の作品に「三四郎」というのがあります。また、冨田常雄の作品に「姿三四郎」というのがあります。「紅三四郎」というのもありますが、これはアニメ。

 私はいつからか、「三四郎」と「姿三四郎」がごっちゃになっていました。というのも、つい最近、「三四郎」を読んだのですが、その時、「いつまで経っても柔道の話にならないなぁ」と思いながら読んでいました。これは黒澤明の映画やテレビの影響と、冨田常雄の原作本にあまり出会わないという条件が生んだ錯覚です。また、私自身これまで「三四郎」を読んだことがないため、無知が呼んだ錯覚ともいえます。

 それはガンダムを観ていても痛感しました。モビルスーツの区別がつかないため、戦闘シーンでは何と何が戦っているのかさっぱり分からないのです。ヒロシ風に言うと、「ザクとグフの区別がつきません!」という感じです。

 実は、ガンダムというヤツは、古いタイプのモビルスーツを描くことで、「ハイ、ここから回想シーンですよ」というテクニックを使ってくれるので、モビルスーツの新旧に疎い人間は、何故突然戦闘が始まるのかということを理解するのにやや手間取ってしまうのです。そして、なんて不親切なんだ!というオジサンの憤りは全く無視されてしまうのです。まるで、知らないほうが悪い、と言わんばかりにです。

 夏目漱石に「知らんほうが悪い」と言われると、相すみませんと言わざるを得ませんが、ガンダム如きに言われたくはありません。

 しかし、なんとなく悔しいので、結局「Zガンダム」も「ガンダムZZ」も観てしまいそうな気がします。
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2004/12/13

12月13日(月)

 週一で書いているこの日記。毎日は書けそうもないから、せめて週一でと思って始めたのですが、週一と言うペースは存外厳しいです。

 毎日書くものならばその日あったことをありていに書き連ねれば義務を果たせるのですが、週一となるとその週にあったことを順次連ねるワケにも行きません。そんなもの、読むほうも書くほうもうんざりしてしまいます。

 ということで、いつしかこの欄はコラム的なものになっていったのですが、普段喰うにも困っている人間が世の中を事細かく見る暇も無いのは当然で、畢竟(ひっきょう)好い加減な事を書いてお茶を濁すことになってしまうわけです。そうなると当然読み手もその辺りはよく心得ていて、なにやらつまらんとなって知らず知らずアクセスもしなくなるというわけです。

 その証拠にこのHPのアクセス数はここ数ヶ月めっきりと減ってしまい、つられて掲示板も死んでしまったというわけです。

 あと4ヶ月弱でこの欄も丸3年を迎えます。その間に、何か活性化させる材料が見つかればいいなぁと思っています。

 さて、運転中の携帯電話の使用に法的規制が布かれるようになってから1ヶ月以上が経ちましたが、未だに構わず電話をしているドライバーを多く見かけます。統計を取ったわけではないので確たる自信は無いのですが、女性とトラックの運転手に違反者が多いようです。本人は気付いていないようですが、アレは後ろから見ていてもすぐに分かってしまいます。

 車体がふらつき、ブレーキを細かく踏むので、周りの車は非常に迷惑です。近頃は女性でもランドクルーザー並の大きな車を運転しているので、それらにフラつかれると戦場でミサイルをかいくぐりながら運転しているようで、とても日本の一般道とは思えなくなります。

 つい先日、交差点の一時停止で左折待ちをしていましたら、やはり女性が運転する大型車がウインカーもつけずにやおら左折をしてきました。そこは道幅があまり広くないので、右折にせよ左折にせよ神経を必要とする道なのです。その女性は右手に電話を持ち、左手一本で左折しようとしたようで、故にウインカーもつけられなかった訳です。当然左手一本での左折も出来ず、交差点のど真ん中で頓挫してしまいました。

 私の前にはどこかの会社の軽自動車が一台、同じく信号待ちをしていました。その軽自動車が気を利かせて少し前に出て道幅を広くしてあげました。そのおかげで、頓挫した車は何とか回りきれそうなほどにスペースが取れました。

 が、頓挫車は何をトチ狂ったのか、その場で突然切り返しをし始めました。オイオイ、とその場の誰もが思ったはずです。案の定、頓挫車は後続車を撃破。更には余程慌てたのか突然直進してしまい、スペースを作ってくれた軽自動車に頭突きを食らわしてしまいました。

 驚くべきはここから先で、なんとその女性ドライバーは、事故を起こしたというのに、一向に車から降りる気配がなく、しかもそのまま電話をし続けているのです。これに腹を立てたのは軽自動車の男性ドライバーです。

 ものすごい勢いで車を飛び出し、何やら叫びながら女性の車のドアを開けさせ、女性がようやく恐る恐るドアを開けた途端に女性の髪の毛を掴み上げ、引きずるようにして運転席から引っ張り出しました。そして、あっと思う間もなく女性の脇腹付近を一発二発蹴り上げました。

 そこへ、同じく激突された後続車の(男性)ドライバーが割って入り、興奮した男性をなだめるように押しとどめました。ところが、今度は女性が逆上し、男性を口汚くののしり始めました。そして隙を見て車に乗り込み逃走しようとしたのです。これは流石に男性二人に取り押さえられましたが。

 私はそこまで見て、こりゃ長引くと思い、脇の民家の駐車場を失敬してUターンしてしまいましたので、その後どうなったのかは知りません。

 とにかく、携帯電話というヤツは社会の迷惑です。一人でしゃべりながら歩いているヤツなんて、昔はキ印のヒト以外は考えられなかったので、見ていて未だに違和感を覚えます。

 あれは何故社会に蔓延したのでしょうか。どうも、あれを見ていると、昔、学生時代に女子生徒同士が授業中にノートの切れ端で手紙のやり取りをしていたのを思い出します。内容は酷くつまらないものの筈なのですが、それはそれは熱心にやり取りをしていました。多分にあの行為の延長が携帯電話でありメール交換なのだろうと推測します。

 私はPHSを持っているのですが、まず滅多に使いません。なので、普段どこにおいてあるのか自分でも分かっていません。時々思わぬ場所で見つけるのですが、その時には決まって電池切れになっています。なので、気が向けば充電をするのですが、結局は使わないままにまた電池切れになるので、最近は充電もせずにほったらかしにしています。基本料金を払うのも馬鹿馬鹿しいので、いい加減解約しようと思っています。

 そういう私から見ると、大の男がメールを打っている姿や、バス停に並んだサラリーマンやOLが一様に俯いて電話をいじっている姿が気味悪く映って仕方がありません。

 まるで、自分の過去や未来や、あるいは真実の姿がそこにあると信じている人々が、神様にでもすがって祈ったり畏れ入ったり詫びたり悔いたりしているように見えます。

 日本には宗教が無いと誰かが言いましたが、そんなことは無いと思います。もし無いのだとすれば、それは日本人が真に望む形の宗教が無いだけだと思います。試しに携帯電話専用の宗教を作ってみると良いでしょう。間違いなく歴史に残る大教団を作ることが出来るはずです。

 まぁ、それで大儲けをしたいヤツは私のところに目も眩むほどの現金を持ってきなさい。コツやノウハウを教えてあげます。

 ありゃ、今回も話が見当違いの方向へ行ってしまいました。
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2004/12/06

12月6日(月)

 なんとなく、過去の日記(時雨日記)を再度掲示しました。掲示するにあたり改めて読んでみて、自分がいかにバガヤロ様であるのか再認識しました。

 文体が違うのは当然なのですが、それよりも内容が精神病患者のうわ言にしか読めないのにはちょっとショックでした。軽い眩暈と強烈な吐き気に襲われました。

 文中に「じゃんくまうす」さんを始め、多くの先輩諸氏が登場するのですが、彼らはよく怒らなかったものだと不思議に思います。あそこまで書かれて、まさか光栄に存じていたわけでもあるまいし、普通なら石のひとつや現金の数万円などを投げつけられてもおかしくはありません。

 なのに、石は愚か10円玉のひとつも飛んでこなかったのです。これは、私の人徳というよりもむしろ、貧乏のせいとしか考えようがありません。

 貧乏といえば、つい先だってこんなことがありました。

 深夜、いつものように死に物狂いで仕事をしていたのですが、不図空腹を覚えまして、「いやいや、貧乏なのに腹が減るのは困ったもんだ。貧乏だから夜中まで働いておるのに、そのせいで腹が減って、余人ならば無用のカネがかかる」と、夏目漱石の「我輩猫」的な理屈をこねつつコンビニに行きました。

 深夜ですから、もちろんそんなに買い込むわけではありません。飲み物と、軽く食べられるものと、タバコを買い、いざ支払いの段になりポケットに手を入れた(私はここ10年財布を持っていない)ところ、足元に何やらありがたい輝きを見つけました。

 改めて確認するまでも無く、それはあろうことか夏目漱石先生ではありませんか。例えこのように四つ折にされていたって、見まごうはずもありません。

 いつもならば、私はそれを紳士然としてレジに差し出し、「落ちていましたよ」とニッコリ笑ったはずですが、このときばかりはまるで魔がさしたように、ミスターマリック張りの鮮やかさで手のひらへ滑り込ませてしまいました。

 ハイ、消えました。

 心の中でそうつぶやいたのは、言うまでもありません。

 恐ろしいのはこの後で、帰り道で今度は500円玉を拾ってしまったのです。薄暗い街灯の僅かな明かりを吸い込んで金色に光るそれを見つけたとき、何故来る時に気が付かなかったのか不思議ではありました。

 日ごろ「この界隈は貧民窟」と言って憚りませんでしたが、実はそちこちにカネを撒いて歩く趣味の人々が多く住む土地だったのかもしれません。全く、捨てるくらいあまってるのならば、ウチで捨ててくれればよいものを。

 しかし、油断してはいけません。1500円ものカネを拾って、ただで済むはずがありません。落とした人々はきっと今頃血眼になって探しているかも知れないからです。丁目毎に貧富の差が激しいこの土地において、カネは命よりも重い場合があるのです。

 いつぞや、近所のナニ屋さんは、塩一袋で女子高校生を買って来て労働力としていると聞き及びました。真偽のほどは別として、そういう噂が実しやかに囁かれるような土地なのです。

 そんな土地で1500円を拾ったといえば、これはもう大騒動です。河北新報に載ってもおかしくは無いほどです。ましてや、そのカネをあっという間に使ってしまったとあっては、重罪であることこの上ありません。

 久しぶりに昔の日記を読んでしまったせいで、ナニやら無茶苦茶なことを書いてしまいました。時間も時間なので、いまさら書き直す気にもなりませんので、このまま掲載することにします。

 ただ、1500円ぽっちのカネで無上の幸福感を覚えたのは事実です。たった1500円でですよ。情け無いったらありゃしない。半ば好んでしている貧乏とはいえ、度を過ぎると好きなものでもおいしくは感じられないものです。たまには腹いっぱいになってもみたいなぁ、と思うわけです。

 や、なんだかワケ分からないし情けないのでこの辺で失礼。
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