2005/11/28

11月28日

 今月は月曜日が4回しか無いのに、随分と日記を書いたような気がします。

 池波正太郎風に言うと、随分と書いた、というよりはむしろ、

 「書きすぎた・・・」

 という気さえします。

 実際、商売に何の影響も無い、いやむしろ悪影響を及ぼしているとさえ言われているこの日記、一体いつまで続ければよいのでしょうか。私がこうやって報われない作業に追われている間にも、同業者どもがセコセコと商売にいそしんでいるのも、

 「許せない・・・」

 という気分になります。(もういいか)

 最近長い話ばかり書いているので、読むのがメンドクセーんだバカヤロウとお思いの方もいらっしゃるでしょうから、今日は少し短めに済ませましょう。

 えー、まず、来年の年賀状の話です。基本的には今年送らせていただいた方には引き続き送らせて頂きますが、HPなどで年内に御不幸のあったことを把握している方へは予め控えさせていただきますが、もし、ウチでも不幸があったので、と言う方や、俺もう死んでるから、と言う方はご連絡いただけると助かります。(掲示板でも可・HNで分かります)

 あと、お歳暮の件ですが、これまで同様に政府関係者や日本弁護士会、日本医師会からは受け取りませんので、予めご了承ください。それ以外の方、特に私のお陰で生きながらえていると言っても過言ではない同業者からは強制的に徴収しますので、ちゃんと準備しとくように。突然受け取りに行きますので、その時に準備出来ていなかったら殺しますからね。名取市方面は一層厳しく取り立てますから覚悟しておいてください。

 どうでしょうか、今回はこの辺で。我ながら、

 「短すぎる・・・」

 と思いますが、たまにはいいんじゃないでしょうか。
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2005/11/21

11月21日(月)

 誤解を生むのが恐いのですが、なんだか近頃妙に思い出される昔話をひとつ。

 今からもう、15年以上前、まだ岩手県盛岡市で働いていた頃の話です。私が勤めていたのはS社といって、コンピューター(当時オフコンともいっていました)のプログラムを製作する会社でした。会社とはいえ社長の下には従業員が4・5名しかいない零細企業です。

 その頃の同僚に、Dさんという女性の方がいました。Dさんは私よりも3歳年上で、会社のそばのアパートでお姉さんと二人暮しをしていました。無口で愛想が無く、決して美人とはいえない人でしたが、妙に余韻を残すような人でした。仕事振りも微妙な人で、簡単な仕事を長い時間をかけて中途半端にこなす程度。特技があるわけでもなく、気が利くわけでもない。向上心も希薄で、日々お茶を濁して給料が貰えれば良いという姿勢だったと記憶しています。かく言う私も似たり寄ったりでしたが、ここではまあどうでもいいことです。

 ある時、Dさんと同居していたお姉さんが病気で亡くなってしまいました。何の病気だったのかは失念してしまいましたが、確かにDさんの口からお姉さんが大きな病気をしているとは聞いていたので、とうとう亡くなったか、と社員同士でうなずき合ったのを覚えています。

 さて葬儀となり、会社としても誰も出席しないわけにもいかないので、副社長と私が出席する事になりました。副社長は当時36歳で、私は21歳。どちらも世間の常識には疎い年齢です。部下や同僚の身内が亡くなったというのに、神妙さの欠片も無く、ましてや死者への慰霊の気持ちも薄かったと思います。葬儀が行われるのは盛岡からは大分離れたDさんの実家のある山奥の町。実際の町名は都合により書けません。

 葬儀の日は、天気も良く、仕事もひと段落着いていた私と副社長は、半ばドライブ気分で車を走らせました。運転手を勤めていた私は、岩手の地理には暗いため、副社長の指示に従うばかりです。現在はどうなっているのか知りませんが、当時の岩手は盛岡から少し離れるとすぐに人里離れた風景が広がり、絵に描いたようなのどかな風景が現れるような按配でした。

 のんびりとした風景と好天が、これから葬儀に向かう二人とはあまりにも対照的でした。そもそも、2人とも正直なところを言えば、ただもう面倒くさいだけ。人の死を悼むには、お互いまだまだ経験不足な人間だったのです。 ふと、副社長がこんな話を切り出しました。

 「これから行く場所はな、いわゆる部落さ」

 「は?部落?」

 部落、と聞いて反応するような知識は私は持ち合わせていませんでした。さらに東北地方では関西ほど「部落差別意識」が浸透していないため、副社長が差別的意味で「部落」と言った事に反応するだけの下地がなかったのです。

 「穢多とか非人って聞いたことあるだろ」

 「そういえば、歴史の時間に習ったような気もしますね」

 「つまり、そういう人たちが住んでいた場所ってことさ」

 「それがどうかしたんですか?今の時代には関係ないことでしょう」

 「俺も聞いた話さ。でも、かなり変わった風習だってさ」

 それきり副社長はその話題には触れずに、後はさも無い話に終始しました。

 やがて目的地が近づいてきたのですが、2人は少し言葉を失ってしまいました。見渡す限りの山に囲まれた中に一本の細い道があり、その奥に奥にと向かって車を走らせるのですが、一向に人家が現れない。Dさんに貰った地図では間違いなくこの道を直進せよ、となっているのですが、その地図が信じられなくなるほど、心細い道なのです。途中、副社長は何度も「車を止めろ、車を止めろ」と命じ、その度に車外へ降りては無限に続こうかという道の遥か先を絶望的な眼差しで見つめていました。私としても、これほどの田舎道を走ったこともなく、副社長以上に不安でいっぱいでした。

 お互いに不穏な気分のまま一山越え、二山越えたあたりで、ようやく「D家こちら」という参列者用の道しるべを見つけました。その道しるべによると、これまで走ってきた道からさらに細いわき道へ入れとのこと。指示に従ってハンドルを切ると、あっけにとられるほどの急勾配が待ち受けていました。急勾配は蛇のうねりの如く伸びていて、右に左にとハンドルを切るうちに、気分が悪くなってきました。そうしてようやく一軒の家に出くわしました。しかしそこは人気がなく、いかにも葬儀のために出払っている風情。やや行くとまた一軒、さらに行くとまた一軒、同じ風情の家。

 不安の中にも、この辺で間違いが無いという手応えがあり、少し自信を持ち始めた頃、ようやく目的の家に辿り着きました。大勢の人が集まり、いかにも葬儀らしい飾り付けに纏われた古い小さな農家でした。 喪服姿で出迎えたDさんは、いつもの通り無愛想でしたが、泣きはらした後の赤く腫れぼったい目をしていました。

 「この度はムニャムニャ」と知ったかぶりの挨拶をしているうちに、始まるよ、と誰かに声を掛けられ、私達は慌てて玄関へ上がりこみました。家の中には、大勢の人がいましたが、家族以外は誰も悲しんでいる様でもなく、老いたご両親と残された2人の姉妹が小さくなってさめざめと泣いているばかりでした。

 私達は一番後ろの席に隠れるように正座しました。その時、私の脇腹を副社長がツンツンと付きました。私が顔を上げると、アレを見ろ、と小さく顎で祭壇を指しました。

 見るとそこには、時代劇で観るような丸い棺桶。そう、まさに棺「桶」。普段私達が言っている棺桶は、人が横臥した状態で収められる「棺」。言ってみれば西洋式です。しかしそこにあったのは、座った状態で(体育座り)収められる和式の丸い「棺桶」です。その棺桶が、色とりどりの紐で飾るように縛られ、まつられていたのです。

 葬儀は至って簡単で、細かい部分はすっかり失念していますが、手から手へ焼香が回ってくる形式の一般的なものだったようにうっすらと記憶しています。

 もっとも副社長は、帰りの車中で、「変わった葬式だったなあ」とも言ったように憶えているので、何か変わったこともあったのかもしれません。

 読経が終わると、葬儀を仕切っているらしい親戚の某氏だという人が前へ進み出て、「葬儀は以上で終了である。わざわざ遠くからお越しいただいた会社の方々には申し訳ないが、これから先は内々のしきたりでするべきことがあるから、早々に引き取ってくれ」という事を言われました。

 私達のほかにも列席していた会社関係の人間(恐らく姉妹の誰かの勤める会社だと思われる)は、まあそういうことならと、そそくさと席を辞しました。もとより縁遠い葬儀ですから、無理に引き止められるよりもかえってありがたい言葉ではありました。

 義理で列席した人々は、誰も彼も素早く車に乗り込み、あっという間に姿を消しました。私達は一番最後に到着したため、かなり離れたところに駐車していた為、皆が去った後、ようやく細い道へ乗り出すことが出来ました。

 その時、ふと家を見ると、家の裏から伸びた獣道のような急な坂道を行く遺族達の姿を見つけました。棺桶の紐に太い担ぎ棒を差込み、幾人かで更に山の奥へ向かって登り出していました。窓を開けてその様子を見ると、何か歌を歌いながら、ゆっくりとゆっくりと山の頂上を目指すように歩いていました。

 その歌は、死者を弔い担ぎ手を励ますかのような暗く悲しく力強い印象を与える歌で、歌の節々に時折混じる鈴の音が風に乗って山の隅々まで響き渡るようでした。微かに見える列の後ろを行くDさんの姿が、まるで別世界に住む住人のように見えました。

 「あんな山の上に、火葬場があるんですかね」

 ふと疑問が生じて何気なく副社長に問いかけると、

 「馬鹿、あんな棺桶の入る炉があるか」と即答されました。

 「土葬だよ」

 と更に念を押すように言った副社長の目に、差別意識とは違う複雑な何かを感じました。それはまるで、普段の愚鈍な仕事振りをもまとめて唾棄してDさんに届けようとしている荒んだ副社長の心情を表しているようにも見えました。

 まさか。始まったばかりとはいえ、平成のこの時代に、土葬なんて許可が下りるはずが無い。部落だ何だという差別意識があるから根も葉もないことを言っているのだと思いました。

 しかしまた一方では、こんな山奥で、行政もへったくれも行き届きそうも無いし、確かに火葬場も無さそうな山の頂上で何が行われたところで不思議ではないかとも思いました。

 今思うに、そこに住む人々が何処の誰で何の謂れの人であろうとも、幾年経っても風習のままに生きている様というのは何と魅力的な事かと思うのです。日々移り変わる世の慣わしを常識として、追いかけるようにあるいは流されて生きるよりは、よほどまっとうな人間らしく感じます。

 あれが本当に土葬だったのかそうでないのかは、今となっては分からないことです。むしろこんな話を書くと、「それは私らの地区の話か」とお叱りを受けるかもしれませんが、私の心情としては、あれは絶対に土葬であったと思いたいのです。

 そう思うことで、実はまだ生きている「根の深いもの」に出会えた事を素直に喜びたいからです。
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2005/11/14

11月14日(月)

 近頃の中学校では、「読書の時間」というのがあるらしいです。数年前までは、毎日朝の10分くらいを「読書の時間」に充てていたようなのですが、先日聞いた話では、今は週一回の一時間を「読書の時間」としているらしいです。

 その影響で、度々親御さんが子供のための本を買いに来ます。そして、どんな本がいいかを相談してきます。その相談を受けるたびに、心の底からガッカリしてしまいます。中学生にもなって、自分が読む本を決められず、親に買いに行かせるなんて、情け無い事この上ありません。そういう子供に育てて、その言いなりになっている親も同じです。

 大体にして、本なんて無理矢理読ませるもんじゃありません。上手に興味を持たせて、率先して手を出すように仕向けるべきだと思います。そんな事は、誰も進んで教科書を開かないことからも想像がつくと思うのですが。

 そしてその役割は、学校ではなく親が担うべきです。学校で薦められる本なんて、様々な条件が絡み合って、限られたものになってしまうからです。それが親ならば、条件など一切無しで純粋に面白い本を薦められます。極端な話をすれば、親の責任においてならばエロ本だって薦められる。親ゆえにその辺の自由度はかなりあるのです。

 ところがしかし。

 親が子供に薦められるほど本を読んでいないという現実があります。実際に店内で、子供と本を選んでいる光景をよく見ますが、子供の質問に対して答えられない親の何と多いことか。

 「これ、面白いのかな」

 「どれにするの?早くしなさい!」

 「これはどんな話?」

 「いいから早くしなさい!」

 「どれが面白いの?」

 「選べないんだったらもう帰るよ!」

 子供の質問にまるで答えられない自分を、必死で棚に上げている様はブザマとしか言いようがありません。学校の先生にはあれこれと注文をつける割には、自分は子供に簡単なことも教えてやれないのです。そんな自分の姿を見れば、どれだけ子供にお金をかけても、期待するほどモノにもならないことは想像がつくでしょうに、そういう姿を省みずに、必死になって塾の送り迎えなどばかりして自分の愚かさを誤魔化しているのです。哀れだなぁと思うのは、私だけでは無いでしょう。

 とはいえ私も学も学歴も無いですから、愚かさにおいてはその辺の親と一緒です。それでも、子供の問いに答えたい気持ちだけは持っていたいと思うのです。
その都度自分の愚かさと向き合う事になるでしょうが、それでも愚かなのは自分のせいなのですから、その愚かさと付き合う覚悟は誤魔化したくはありません。

 先日、子供に頼まれて本を探しに来たお母さんとの会話です。
 
 「どれでもいいから学校で読ませる本を選んでください」

 「お子さんはもう中学生でしょ。自分で決めさせればいいじゃないですか」

 「うちの子、本なんか読んだこと無いから、決められないみたいなんです」

 「でも、それじゃ『これ読め』って言っても読まないでしょ」

 「そういう子供でも読める本って無いんですか」

 「ありますよ、そりゃ。いくらでもありますよ」

 「じゃ、それ教えてください」

 「でも、それよりも、お母さんが中学生の頃に読んで面白かった本を薦めた方がいいんじゃないですか。その方が説得力があるでしょ」

 「いや、私も今まで本なんか読んだこと無いんです」

 「なるほど、みなさんその辺までは同じことを仰いますな」

 「やっぱり!みんなそうでしょ?」

 「ええ、多いですよ、そういう方は」

 「だから、そういう人用の本をください」

 「そういう人用のジャンルは無いですよ。ただ、誰が読んでも面白い本があるって事です」

 「だから、それを教えてくださいよ」

 「値段が高いのと安いのがありますが、どちらがいいですか」

 「安い方だと何かマズイんですか」

 「いえ、全然。ただ、高い本を選んだお客さんは、たいがい後で文句を言いに来るもんですから」

 「え?何故ですか?」

 「さあ?『2ページしか読まなかった』とか、『10ページしか読めなかった』とか言われますが」

 「高い本は面白くないとか、難しいとかじゃないんですか」

 「いえ、全然そんなことはありません。内容の問題じゃないんですね、きっと」

 「うちの子は、落ち着きが無いから、長いのはダメなんです、多分」

 「授業で座って読ませるんでしょうから、長いのも短いのも関係ないと思いますよ。まさか授業中に立って歩きはしないでしょう」

 「でも、飽きたら困るし」

 「飽きますよ、絶対。だって、自分で選んだわけじゃない本を、授業として無理矢理読まされるんですから、いくら面白くたって本なんか好きになるはずが無いです。読書時間の間だけ我慢して開いてるだけで終わりますって」

 「そうですよねぇ・・・」

 「だから、せめて本だけは自分で選ばないと駄目だと思うんですよ」

 「でも、明日必要だから、もう時間が無いんです」

 「じゃあ仕方が無いですね」

 と言って選んであげたのが、以下の三冊。

 ・井上ひさし「ブンとフン」
 ・筒井康隆「時をかける少女」
 ・星新一「ボッコちゃん」

 選択にいささか私の嗜好が混ざっているのはやむを得ないところでしょう。しかし、そう言いつつも星新一を入れるあたりに、私の迷いが現れています。その点に関してはこのお母さんに謝らなければいけないと思います。以前、数十年ぶりに再読してガッカリした本だけに、胸を張って薦められるべき本ではないのです。だがしかし、今時の中学生が読んだらどう思うかも知りたいところではあったのです。

 もし、今時の中学生が読んでも面白いと感じてくれれば、それはつまり私が読書に関して成長していることを幾ばくかでも証明することにもなるのかと思うのです。アウアウ・・・。嗚呼しかしそれは詭弁かもしれない。もし、面白くなかったと言われたら、自分はどうすればいいのでしょうか。きっとどうもしないのでしょうが、でも少し気落ちはするでしょう。文章の揺れが心の乱れを表しています。

 「この中で、お母さんが読んでみたいなあと思うのはどれですか」

 「時をかける少女って古いですよね」

 「どれも古いですよ」

 「うちの子供はどれ読むかしら・・・」

 「いや、お母さんが面白そうだと思った本なら、お子さんも同じように思いますよ」

 「どれが安いのかしら」

 「野菜じゃないから内容で値段が変わるわけじゃありません。どれも150円です」

 「じゃあ、可愛いタイトルだから、これ」

 おお、なんと。お母さんが取り上げたのは、星新一。まるで私の迷いを見透かしたかのようです。

 私はきっと、古本屋には向いていないのかもしれません。むしろ、本なんか読んだ事が無い、と言い切るこのお母さんこそ、古本屋に向いているのかもしれません。

 恐るべし「読書の時間」。

 そして、こんなカリキュラムを組む文科省へ一言。

 これ以上読書嫌いのガキを増やすような真似をするな。
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2005/11/07

11月7日(月)

 ジョニィとスパンキーは私の実家へまで探りを入れに行ったそうです。

ドラマではよくあるシチュエーションですが、実際に自分が調べられると良い気持ちがしません。どうでもいいけれど、そういう的外れなことばかりやっているから、日本の検挙率が落ちているのではないかと思うのですが。また、かように無駄な捜査ばかりしているから、浅野県知事に犯罪捜査協力報償費を停止される羽目になるのです。

 さて、先週書きました稲見一良の「男は旗」ですが、一気に読了してしまいました。今日は、その感想を書こうと思っていたのですが、その感動の言葉を探しているうちに、気が変わってしまいました。もったいなくて書けません。皆さんには、ぜひとも自分自身の目と心で味わって欲しいです。

 というわけでして、今回は25年前に読んだ本の話。 ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」。懐かしいですねぇ。このタイトルだけで涙目になる人もいるのではないでしょうか。かくいう私も少し涙目です。一昨日、不意に思い出して、当時読んだそのものの本を引っ張り出して再読したのですが、本はくたびれていても、内容は色褪せていませんでした(以前、星新一でガッカリした経緯があるだけに嬉しいことです)。

 あの頃、中学1年生だった私は、歯医者での長い長い待ち時間をこの本に助けられて過ごしたのです。しかも、海外物に初めて触れたので、内容を理解するのに手こずり、読了まで10日以上もかかったのを憶えています。

 25年前に読んだ本ですが、作品が発表されたのは1957年です。物語の最初の舞台は1970年です。主人公が1970年から2001年まで冷凍睡眠をし、タイムマシンによってまた1970年に戻り、さらにまた冷凍睡眠で2001年に戻るという話です。

 作者のハインラインは1957年に、13年後の未来を語り、さらに30年後の21世紀を語るわけです。昔のSFというのは、ドラスティックに科学を語るものの一方で、純粋に未来予想図を語るものもあったわけです。私は後者のほうが嗜好に合っていたので、難しいSFは全然読んできませんでした。

 今のSFがどんな傾向にあるのかさっぱり分かりませんが、遠目に観るとSFというよりもファンタジーのほうに人気が有るような気がします。

 さて、作中には当時まるで気が付かなかった興味深い記述が多くありました。50年前の作品の粗探しをする気はありませんので、嘲笑ではなく懐古的な目線で見ていると理解してください。

 主人公のダニィは最初の冷凍睡眠で2000年12月へ向かいます。そこには、友人と恋人の裏切りにあい、さらには奸計に嵌って失意と共に未来へ向かうという背景があったりするのですが、有名な話なのでその辺は割愛します。

 1970年からひと時の眠りの後に30年後の世界で目覚めたダニィの見た世界は、作者のハインラインが予想した世界といえます。今我々のいる21世紀初頭という世界を、ハインラインはどんな気持ちで思い描いたのかが気になりませんか?

 ハインラインが思い描いた21世紀では、科学は人の生活を豊かにするためのものとして描かれています。それは観念的なものではなく、純粋に生活に密着したものです。生活のなかで必要な労働を、機械が替わってこなしてくれるのです。朝起きれば新聞を持ってきたり、コーヒーを淹れてくれたりという、生活実際面のサポートをするものとして科学は発展しているのです。さらには医学の発展で風邪のウィルスも無い。

 翻って考えてみると、現実の30年前から発達したものはコンピューターを中心とした通信技術くらいでしょうか。勿論、医学やその他様々な分野で技術の発達は認められますが、一般人レベルで扱う事が可能になっているのはコンピューターくらいではないかと思います。他に携帯電話の急激な発達などもありますが、私の浅はかな考えでは、携帯電話の発達はコンピューターの発達の副産物と捉えています。

 コンピューターは発達と共にパソコンと呼ばれ、非常に身近なものになりましたが、決して暮らしを豊かにするためだけの目的では利用されていません。ずっと以前に勤めていたところの同僚は、社内にパソコンを導入する為に、上司を口説くロジックとして「パソコンさえあれば何でも出来る」と言っていましたが、それを聞いた私は「パソコンで出来る範囲のことしか出来なくなる」のではないかと思ったりしました。人間の可能性をパソコンという枠で閉じ込めてしまうのは少し恐いと思ったのです。

 昔は、コンピューターといえばまるで魔法の箱の如く思われていて、古今東西の情報が便利に引き出せて、更には人間様の足りない部分を全て完璧にサポートしてくれるものと考えられていたものですが、実は現代に於いてもまだそれに近い認識を持っている人もいるのではないかと思います。その認識の欠片が先の同僚の意識の中にあったとしても不思議ではありません。

 パソコンに限らず、それがどんなものであれ、道具というものはあくまでも道具に過ぎず、それを扱う人間の心の方が大事です。せっかく発達した電子計算機(ハインライン風に言うと)が、ただの情報収集の手段としてしか使われなくなり、しかもその情報も金儲けの手段にされ、騙したの騙されたのと30年前も今も変わらずに騒いでいるわけです。

 作中で、「21世紀ではこんなことが・・・」「21世紀ではこんなことまで・・・」と出てくるたびに、つい現在の姿と比較してしまいます。そしてその都度ガッカリするのです。それはひとえに「科学が人間の役に立っていない」という結論から来るものです。いや、部分的に、あるいは私の知らないところでは大いに役立っている事実があるとは想像できるのです。しかし残念ながら、私の生活動線の上には何ら影響を与えていない事は確かなのです。

 作中で、主人公ダニィは「21世紀が気に入った」と断言し、タイムマシンで過去へ帰った時も、「一刻も早くあの素晴しい21世紀へ帰りたい」と言います。その台詞が出てくるたびに、21世紀に住まう私は複雑な気持ちになります。もし自分が1970年に行けるとしたら、果たして21世紀へ帰りたいと思うかどうか・・・。過去(特に自分がまだ幼く幸せだった頃なら尚更)に対する郷愁的な部分があるとはいえ、ダニィほど素直に「21世紀が良い」と言い切れるかどうか自信がありません。古本屋という職業が関係しているのでしょうか。

 恐らく、私がこの本を読んだ25年前に感じていた「人間への不信感」とか「社会への失望」(中学生ですから、そういう事をホンキで考える年頃です)などが、未だに解消されていないことが原因かもしれません。

 だから「科学が人間の役に立っていない」という結論を言い直す必要があります。科学が人の心の成長を手助けするものにはなり得ていない、と。もし、心の成長が、物質面の充足の後に来るものならば、満足することを知らない、もしくは受け入れない我ら人間は、きっとこれ以上成長できない生物なのかもしれません。それ故に、世界はこれからも益々薄気味悪く発達だけはしていくのだろうと思います。

 それが幸せなのかそうでないのかは分かりませんが、21世紀を迎えることなく死んでいったハインラインや星新一などのSF作家が、実は一番幸せだったのではないかと思ってしまうのは何故でしょう。
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2005/11/01

11月1日(火)

 警察だ!手を上げろ!貴様は完全に包囲されている。ザマミロ。されているのだワハハ。

 だ・だんなぁ、あっしじゃねぇ。あっしじゃねえんだよぉ。

 うるさい。お前が犯人だ。犯人に決めたのだ。バキッ!

 たった今(午後3時半)の事ですが、2ヶ月ほど前に、私が以前住んでいたアパートの目の前の家でおきた殺人事件について、仙台南署が私の店へ聞き込みにきました。

 若い刑事(この場合、デカ、と読む)二名に、あれこれと色々聞かれました。なにせ、私が引越しをして2ヵ月後の出来事ですから、容疑者の一人に挙げられても仕方がありません。それに私の場合、皆さんご存知の通り大変な貧乏ですから、殺人はともかく強盗の動機は充分にあるといわざるを得ません。

 それにしても、よくも私の住所を調べてきたものだと思います。多分、管理している不動産屋から仕入れた情報なのでしょう。事件の2ヶ月前に姿を消した不審な男がいると分かった時、彼らはどんなにか色めきたったことでしょう。

 刑事長(デカチョウ)!怪しいヤツが浮上してきました。

 うーむ、長年住んでいたアパートを引き払った2ヵ月後に、事件か・・・。

 別件でショッピキますか。

 まあ待て、ジョニィ。その前に身辺を洗え。

 了解!おい、スパンキー、行くぞ!

 てな感じで、ジョニィとスパンキーはやって来たのだと思います。ジョニィは29歳の熱血漢。放っておくとすぐに暴走して、いつもデカチョウに怒られてばかり。でも、このアツイハートがデカには必要なのだとデカチョウは思っているのでしょう。新人だが冷静沈着なスパンキーと組ませることで、きっと良いデカになるはずだと信じているわけです。

 一方スパンキーは、交番勤務時代に優れた犯人検挙率を誇り、勤務態度も真面目そのもの。鍛えあげられた体と、クールな頭脳は新人の中でも将来性はナンバーワン。ただし、無口なのが珠にキズってところか、と言うのが同僚の間での共通の評価。しかし婦警には大人気だ。実は、ジョニィが密かに惚れている交通課の愛ちゃんもスパンキーのファンで、それがジョニィには大いに面白くないところさ。でも、相棒としてはこれ以上無いくらいの信頼も置いているわけです。

 デカチョウ、やっぱりあいつは怪しいです。職業は古本屋で、しかも貧乏です。

 なに、古本屋か。じゃあ、十中八九キマリじゃないか。

 古本屋なんて、叩けばいくらでも埃が出ますからね、引っ張るのは楽ですよ。

 よし、すぐに逮捕状を請求しよう。

 てなわけで、いずれ私は無実の罪で投獄される運びとなるのでしょう。何と理不尽なジャン・バル・ジャン。

 それにしても、随分根掘り葉掘り聞かれたなぁ。帰り際に、はっと振り向いて、「ああ、それともう一つ。現在お住まいの住所は」と、聞かれたときなどは、まるで刑事コロンボのようでした。あまりに良いタイミングだったので、つい、誉めてしまいました。

 いやあ、素晴しいタイミングだったよ。もし俺が犯人だったら白状してたよ。

 とぼけやがってこの野郎。いつか必ず吠え面かかしてやるからな。

 ジョニィさん!アツクなっちゃ駄目ですよ!

 分かてるさスパンキー。俺がアツクなるのは、こいつにワッパをかける時さ!

 さあ、ジョニィ、何処からでもかかってきたまえ!俺は待ってるぜ。(退屈だから)
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